江永泉100コンテンツ(主に文字)

こちらの記事を拝見してふとやりたくなりました(大玉代助を作った100冊 - おおたまラジオ)。私ははてなブロガーではないのでnoteでやってみます。

自分の100コンテンツ、基本的には本なんですが、必ずしも昔に読んだものに限定しておらず、またメディアミックス(アニメなど)の印象が先立っているものも挙げています。ノンフィクションは22コンテンツに絞りました。

概要
●西洋のフィクション(第一次世界大戦以前)10
●東洋のフィクション(日本以外)10
●日本のフィクション(ミステリ・ホラー・SF)10
●日本のフィクション(ゼロ年代前後ラノベ)10
●日本のフィクション(文芸系)8
●海外のフィクション(第一次世界大戦以後)10
●戯曲6
●ネット小説4
●詩歌(日本語)10
●現代思想12
●批評/理論10
以上100コンテンツ

●西洋のフィクション(第一次世界大戦以前)

小学生の頃、児童向けの世界文学全集を読んでいた。1~8はその頃に読んだはずだ。ものによっては児童向けのバージョンでしか読んでいないはず。

1セルバンテス『ドン・キホーテ』
 笑われ者が周囲を笑い飛ばしもする狂った快活さのある物語だった。
2スウィフト『ガリバー旅行記』
 野蛮な亜人たちヤフーの記憶がある。
3ユゴー『ああ無情』(レ・ミゼラブル)
4デュマ『巌窟王』(モンテ・クリスト伯)
 どちらも主人公が華麗に転身した印象。作家のキャラも両者興味深い。
5ビュルガー『ほらふき男爵の冒険』
6トルストイ『イワンのばか』

 どちらも民間伝承を踏まえた創作。コミカルな動きとラディカルな主張。
7バーネット『小公女』
8ロンドン『白い牙』

 異郷や流浪の先で悪戦苦闘して最後に落ち着く物語、とまとめてみる。
9ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』
 亡くなったゾシマ長老の身体から死臭がする場面が忘れがたい。
10フローベール『ボヴァリー夫人』
 ドン・キホーテ的に生きることの困難をエンマが教えてくれる気がする。

●東洋のフィクション(日本以外)

三国志演義と西遊記は児童向けで読んだ。プラカーシ、フサイン、テインペーミンはいずれも大同生命国際文化基金での翻訳出版。図書館は重宝した。

11羅貫中『三国志演義』
 
黄巾の乱で妖術を破るのに小水を用いたのが記憶に残っている。
12呉承恩『西遊記』
 
メンバーが揃うまでの過程が一番印象に残っている。
13魯迅『阿Q正伝』
 精神的勝利法の祖。ギャンブルでの稀な大勝ち後に強奪される哀しみ。
14イ・ヨンド『ドラゴンラージャ』
 思えば初めて読んだネット小説。なろう系ではなくてスレイヤーズと並ぶ年代の作。秩序は混沌のなかの一形態という話を、妙に鋭く感じていた。
15プラカーシ『ウダイ・プラカーシ選集』
16フサイン『インティザール・フサイン短編集』
17テインペーミン『テインペーミン短編集』
18マカール他『黒魔術 上エジプト小説集』
19ヘダーヤト『生き埋め ヘダーヤト短編集』

 インド、パキスタン、ミャンマー、上エジプト諸地域、イランの20世紀の文芸。プラカーシは「ティリチ」、フサインは「書かれなかった叙事詩」、テインペーミンは「座る場所を確保したら」が記憶に残る。『黒魔術』所収作だとアブドッラー「首飾りと腕輪」の印象が強い。ヘダーヤトはいずれも陰鬱だという感触が先立ったが「S.G.L.L.」がとくに奇妙に感じられた。
20ハビービー『悲楽観屋サイードの失踪にまつわる奇妙な出来事』
 パレスチナ系イスラエル人の一作。宇宙人と政治動乱と血族。三島由紀夫の『美しい星』を思い出したりもする。

●日本のフィクション(ミステリ・ホラー・SF)

それぞれのジャンルだけで文芸誌や音楽やソシャゲのそれらのような感じでファンダムがあり、蓄積を感じる。コナン金田一があった小学時代だった。

21江戸川乱歩『赤い妖虫』
 初めて読んだ江戸川乱歩。『妖虫』の児童向けリライトらしい。
22天城一『天城一の密室犯罪学教程』
 不思議の国の犯罪と高天原の犯罪が印象深い。やや小栗虫太郎調の文体?
23麻耶雄嵩『メルカトルかく語りき』
 約束事を突き詰め、壊れているはずなのに壊れずある世界が展開される。
24西尾維新『きみとぼくの壊れた世界』
 解決はしているし大団円なのだが何かが間違っているとの感が妙に残る。
25大藪春彦『野獣死すべし』
 ドラマ版の蘇える金狼でハードボイルドを知り、これを読み力を感じた。
26東野圭吾『容疑者Xの献身』
 ガリレオが映像化される前に読んだ気がする。社会派だと思う。
27平山夢明『異常快楽殺人』
 シリアルキラー列伝。各人が幼少期経験した虐待の記述等も記憶に残る。
28上田早夕里『魚舟・獣舟』
 異形コレクション(井上雅彦監修)で初めて読んで以来、思い入れがある。
29栗本薫『時の石』
 小松左京と同名の作品「黴」を読んだ記憶。地表を覆う黴としての人類。
30樋口恭介『構造素子』
 SFを題材にしたメタフィクション文芸と呼べる気がする。エモかった。

●日本のフィクション(ゼロ年代前後ラノベ)

ライトノベル(文庫本)。ゼロ年代前後という区切りは単に自分が集中してこれらを読んでいた時期に由来する。作品がひとを選ぶが別に挙げたい名を五つ挙げると、おかゆまさき、中村九朗、木村心一、米倉あきら、仙田学。

31上遠野浩平『ブギーポップは笑わない』
32谷川流『絶望系 閉じられた世界』
 
ブギーポップでもハルヒでも、ラノベとしての読まれ方、アニメ化のされ方、ユリイカなどでの特集のされ方等の複数のリズムが混ざり回想の起点が迷子になる。第一作『笑わない』は第1話(竹田の章)だけでも完結しており、その場合はコスプレし二重人格を名乗る恋人との奇妙な対話劇で、全体が危ういモラトリアムから日常への回帰に収まるとの印象がある。薄氷の上なのに揺るがぬ日常と、全力で隠蔽される日常の裏とが乖離しつつ隣接する危うい社会描写の醸しだすテイストは、ハルヒはもちろん『シャナ』や『空の境界』とともに、「新伝綺」の語が口にされた当時のローカルな状況を偲ばせるところがある。なお谷川には(いまや青春を求める向きに受けているはずの)ハルヒの洒脱さより絶望系の黒い笑いが本領との印象が個人的に拭いがたくある。ハルヒも、不思議と出会う冒険譚への皮肉と解しうる話だった。
33喬林知『今日から(マ)のつく自由業!』
34雪乃紗衣『彩雲国物語』

 西洋風異世界と中華風異世界のラノベ。どちらも角川ビーンズ文庫から出ていたので少女小説的な面がある。ゼロ年代前半から刊行され、半ば以降には漫画化もアニメ化されていた。(マ)のつく自由業は転移(転生)しての王族内政と戦闘、彩雲国は転生などはナシの官僚成り上がり+王族見初められ物語だった。どちらも暗躍する陰謀に立ち向かうし主人公を取り巻くキャラたちとのノベルゲームめいた関係進展の様子が描かれていた。とすると、2010年代以降のナーロッパ的なもの、なろう系と呼ばれていく異世界ファンタジーの型は女性向けでも出揃っていたと言えるだろうか。ここで例えばスレイヤーズやオーフェンや小説版ドラクエやロードス島、あるいは十二国記やセーラームーン等々の名を挙げ、それらと関連付けて『(マ)』や『彩雲国』を歴史化して語れないのは私の受容の偏りゆえだ。ファンタジーの沃野は深い。
35甲田学人『断章のグリム』
36綾里けいし『B.A.D.』
37日日日『ビスケット・フランケンシュタイン』

 読んだラノベのうち、ホラー系のものとして忘れがたい3つ。現代ゴシック要素の3つの現れ。上の2つにはバディものミステリの要素も見られる。下の2つは今のところフィクションでしかできない形で妊娠を扱っている。
38森田季節『不堕落なルイシュ』
39石川博品『耳刈ネルリ御入学万歳万歳万々歳』
 
いずれも生権力要素が含まれた(前者は優生思想、後者は一望監視施設)気の利いたラノベという扱いだった気がする。伊藤計劃『ハーモニー』刊行が2008年末で、それの影響下で眺められていた面のある作品であったのだと思う。後者は声優の上坂すみれが共産趣味キャラでプッシュされていたのと同時代だと感じさせる物語。米原万里のエッセイを手前に置けるだろうか。
40比嘉智康『泳ぎません。』
 
ゼロ年代ハーレムラブコメからテン年代ゆるゆりへという異性愛男性向け作品上の文化史的シフトを寓話で評したかのような物語だ、と解していた。

●日本のフィクション(文芸系)

総じてマジック・リアリズム感があるかもしれない。

41小川未明『赤い蝋燭と人魚』

 切なくて哀しくて怖い。児童文学と社会思想の結節点のひとつか。
42土方巽『病める舞姫』
 落ちつかないとき読むと心身が整う。
43山崎豊子『大地の子』
 ある意味で司馬遼太郎作品のような枠だと思う。中国残留孤児が主題。
44吉田知子『無明長夜』
45河野多恵子『赤い唇・黒い髪』

 藤枝静男や吉田健一などを読みはじめる前にこれらに出会った。これらに出会った後に倉橋由美子や円地文子を(少しだけれど)読んだ。
46猫田道子『うわさのベーコン』
 前衛的なケータイ小説になっていたかもしれないと感じさせられた作品。
47桜庭一樹『少女を埋める』
 ふと『GOSICK』のヴィクトリカが死にゆく一弥へとかけるかもしれないと想像されたところの台詞が、アニメ版声優の声色で冬子の脳内で再生され、それが冬子の母が実際に口にした言葉と重なるように感じられてしまう、そんな「キメラ」内の描写を読んで何か撃たれるような思いがしたのだった。
48山本浩貴(いぬのせなか座)『Puffer Train
 いよわの『無辜のあなた』や『大女優さん』を視聴するときのテンションに近づく(事実の上では、先に出会ったのは『Puffer Train』だったが)。

●海外のフィクション(第一次世界大戦以後)

こちらも総じてマジック・リアリズム感があるかもしれない。

49ジョナサン・ストラウド『バーティミアス サマルカンドの秘宝』
50J・K・ローリング『ハリーポッターと賢者の石』

 どちらもイギリスの、1990年代半ばに刊行の始まったファンタジー小説。それぞれ、殺伐としており、世知辛さを抱かされもするが、エモさもある。
51カミュ『異邦人』
 読んだときどきで、語り手とその周囲それぞれの世界の映り方を体感できた気がした物語。いわばサイコ視点一人称であり、滋味豊かな小説だった。
52コルタサル『悪魔の涎・追い求める男』
 物語世界に閉じ込められている、という感覚が語られていた印象が強い。
53ソローキン『愛』
 でたらめで物語を台無しにする、の反復だが、そのハチャメチャさより、肝心なはずの秘密や人情の開示が暴力により中断される、という執拗に反復される物語形式を、検閲や自主規制のメカニズムの寓意と解したくもなる。
54ゴンブローヴィッチ『トランス=アトランティック』
 第二次世界大戦期、南米にあったポーランド系コミュニティを舞台にする小説、とまとめるにはあまりにも文彩が、オノマトペと叫びが弾けている。
55ジュネ『判決』
 『恋する虜』に組み込まれることになる出来事のスケッチ、と言えるか。
56クッツェー『動物のいのち』
 講演で読み上げられた小説なのだと意識して味わいラストに総毛だった。
57ティツィアーノ スカルパ『スターバト・マーテル』
 最終的には恋をして成長する話になるのだが序盤の畳みかけるような言葉遣いでの語り手の幻想まじりの日記体の記述が印象深い。
58サムコ・ターレ『墓地の書』
 これも反復や覆面、秘密や告白の話。何度も回帰するトラウマに似た文。

●戯曲

可能ならミュージカル、能や落語や脚本も挙げるべきだったかもしれない。

59羽鳥ヨダ嘉郎『リンチ(戯曲)
 読んだ。何人かで読んだ。己の読む姿勢を確かめさせるところがあった。
60向坂達矢『FINAL FANTASY 僕と犬と厭離穢土
 読んだ。上演映像を見た。己の笑う姿勢を確かめさせるところがあった。
61得地弘基『所作にかんするチュートリアル』
 何度か聴いた。実行した。自我の作り方を確かめさせるところがあった。
62ソポクレス『オイディプス王』
 読んだ。もしネタバレなしで読めた場合どう感じえたのか知りたかった。
63ファスビンダー『ブレーメンの自由』
 読んだ。ノワール的。桐野夏生などと並べて読んでもいいかもしれない。
64カルメロ・ベーネ/ジル・ドゥルーズ『重合』
 読んだ。ヒトとヒトのやりとりよりヒトとモノのコンタクトが印象深い。

●ネット小説(2010年代以降)

大量に摂取してきた気がするが振り返ると今、口にしたいものはこんな感じだった。なろう系勘違いものの手前にあったラノベとして、林トモアキ、橘公司、望公太の名を挙げておきたい。さらに先行する作品は『カメレオン』などなのだろうか。あるいはエンタの神様でのアンジャッシュだろうか。

65めり夫『幸福な結末を求めて
 ゼロの使い魔の二次創作。作中のモブキャラ(という体裁のオリキャラ)に転生し原作通りの破滅を避けるために動くうち、原作の事件にがっつりと関わってしまう、といった形で『はめふら(乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…)』などの類型の走りだと感じられるかもしれない。勘違いもの。ギリシア神話での神託や予言の代わりに原作知識というものがあると考えるとわかりやすい。まだ異世界転生が様式美や約束事として固まっていなかったのもあってか、メタメタしい作りをしてもいる。
66佐遊樹『TS悪役令嬢神様転生善人追放配信RTA
 なろう系に代表されるであろうネット小説の様々な趣向は、要するに二次創作マイナス原作をして残るような物語展開のお約束の名残だと見なせる、と思うのだが、それを足し算していくと、こういうタイトルになる。善人追放だけ僧侶「ひのきのぼう……?」みたいな掲示板SSのファンタジー(これは『まおゆう』とかで書籍になった)を思い出させる趣向でもある。
67rairaibou(風)『モモナリですから、ノーてんきにいきましょう。
 ポケモン二次創作。宮内悠介『盤上の夜』のつくりを思い出す。また阿佐田哲也『麻雀放浪記』等に遡るべきか。つまりアスリートもので観戦もの。同時にネイチャーライティング的というか動物福祉的というか、つまりゲーム設定から引き出しうる様々な主題をうまく形にしている感じがする作品。
68島ハブ『罅割れた夢
 これもポケモン二次創作。ゲーム展開に沿ったサカキ二次創作。読み応えとしては松本清張っぽい。スプラトゥーンにおけるイカとタコの歴史をマジで読みこんで大河ドラマにしたかのような感じだ、と形容できるだろうか。

●詩歌(日本語)

挙げられたのは現代詩(と戦後詩)と現代短歌になった。

69草野心平『草野心平詩集』
 ヤマカガシの腹の中から仲間に告げるゲリゲの言葉のパッション!第百階級や定本蛙に所収の詩の漫符めいた圧と勢いがまず脳裡に刻まれているが、「何もかももう煙突だ」等どこか渇いた哀しく陰鬱な感じのも印象深い。
70谷川俊太郎『夜のミッキー・マウス』
 こういうポップアイコン的なキャラクターをこのような詩にできるのだなと驚いた気持ちになった記憶。所収作のこれは、妙に北野武みたいな風味。
71山田亮太『オバマ・グーグル』
72斎藤斎藤『人の道、死ぬと町』

 現代詩と現代短歌。それぞれの仕方で生活に入り込んだ記号的な情報の集積を捉えているおり、それらが現実感覚の麻痺した仮想現実遊戯感ではなく何か哀切や無情と結びついているリアルが形にされている気がする。
73中澤系『中澤系歌集 uta0001.txt』
74キキダダマママキキ『生まれないために』

 現代短歌と現代詩。個人的には先ほどの2作と同じような手応えなのだがこれらはより身体感覚にフォーカスしてある感じがする。
75森やすこ『さくら館へ』
 帯での引用でジャケ買い的な仕方で読みはじめた覚えがある。「1の娘は 死にたくなったと/ ひと声のこしていなくなる/ 2の娘は /あなたを殺してあげると/ ふた声のこしていなくなる/ 3の娘は /もうあなたを含めてなにもかも嫌/ み声のこしていなくなる」。これは所収作「新年」の一節。
76さちこ『みんなもっとおれの短歌読んでよ
77さよならあかね『
いつの日かひざみろさんに送りつけることを夢見る自薦50首
 いずれもネット上の現代短歌。どちらのひとも諸々に歌評を書かれてもおり、それぞれに読んだりしていた。76はChinozoのボカロMV(シェーマショットガン・ナウル)と同じような意味でインセルポップ作品だと言えると思う。77は記号になった語で構築される感傷がある。この一首が象徴的だと思う。「魂をビブラートせよ! わ・れ・わ・れ・は・う・ちゅ・う・じ・ん・だ・が・あ・な・た・が・す・き・だ」。PAS TASTA ft. ピーナッツくん『peanut phenomenon』や花譜×長谷川白紙『蕾に雷』に近い風味か。
78 3``/あ『
 『ウ生イ3木』の「でかいスイッチ」に出会って以来、読んでいる。

●現代思想

私はポストモダンや加速主義やポストコロニアル研究、カルチュラル・スタディーズなどの書き物にそれなりに影響を受けていると思う。

79ドゥルーズ/ベケット『消尽したもの』
80デリダ『ユリシーズ グラモフォン』
81フーコー『同性愛と生存の美学』

 蓮實重彦『フーコー・ドゥルーズ・デリダ』を踏まえた千葉雅也『現代思想入門』のデリダ・ドゥルーズ・フーコーの紹介が頭をよぎっていた。
82飯田隆『規則と意味のパラドックス』
83森本浩一『デイヴィドソン:「言語」なんて存在するのだろうか』
84ダイアモンド編『ウィトゲンシュタインの講義 数学の基礎篇 ケンブリッジ 1939年』

 分析哲学系の著述で、特に印象に残っている3つ。82も83と同じで「哲学のエッセンス」という入門シリーズが基(クリプキ紹介だった)。
85ベンヤミン『暴力批判論』
 手持ちだと文庫版『ドイツ悲劇の根源』下巻に付録的に所収されている。
86グラムシ『新編 現代の君主』
 反体制の姿勢をとっており投獄された書き手に関心を持つところが自分にはあった。ほかにはカンパネッラやブランキなどを似た関心で読んでいた。
87アガンベン『瀆神』
 ベンヤミンとドゥボールを下敷きに引用で話をつくる書き手として読む。
88後藤浩子『〈フェミニン〉の哲学』
 田崎英明や小泉義之とあわせて読んでいた。著者はサドッホのメンバー。
89木澤佐登志『失われた未来を求めて』
 この著者の一冊、みたいに絞るなら今はこれを挙げたくなる。ビジュアルデザインがしっかりつくりこまれている。あるカウンター・カルチャー史。
90トリスタン・ガルシア『激しい生』
 なぜ現在ではイキリやエモに冷や水を浴びせて生真面目ぶるのがクールでイカしていると見なされるのかをわかりやすく概説している。目次を一部分を引くと、こんな感じ。「4 道徳的な理想――強い=激しい人間:新タイプの電気人間/放蕩者、神経人間/ロマン主義者、雷雨人間/ロック歌手、電化された青春期の若者/形容詞的な道徳、副詞的な倫理」「5 倫理的な理想――強く=激しく生きること:強さ=激しさのブルジョワ化/第一の策略――変異することによって/第二の策略――加速することによって/第三の策略――「初体験信仰」/崩壊にいたるまで」。ただ、もうそろそろ、激しさのリバイバルがあるかも(もう到来している?)とか思ったりもする。

●批評/理論

自分は、上で言う現代思想と隣接する領域、ないし同じような圏域のものとして、こういうものを読んできたのだと思う。

91村山敏勝『(見えない)欲望に向けて』
 ここに所収のベルサーニ論を傍らにベルサーニを読みはじめた。ほかにもセジウィック論やジジェク論、コプチェク論などがあり、文学共同体の公共圏を考えるジェイン・オースティン論と並んで記憶に残っている。
92三浦玲一『村上春樹とポストモダン・ジャパン』
 ウォルター・ベン・マイケルズを咀嚼してなされた日本ポップカルチャーのグローバル的視点での批評。現代文化史を書くスタイル面でも印象深い。
93ジェイムソン『近代という不思議』
 解釈の歴史的変遷を解釈したりジャンル批評を解釈したりする方法論と、作品論が合わせて所収されている点では『政治的無意識』がまとまっているけれど、近代(モダン)ってなんなのか、という筋がはっきりあるこれも読みやすい気がする。個人的に感じる面白さだけで言えば『目に見えるものの署名』のジョーズ映画に関する記述が一番覚えている。ジェイムソンの諸作も文化史を書くスタイルを考えさせる書き物であると思う。
94ド・マン『美学イデオロギー』
 どの論考も古典的な哲学書の読みなおしがメインだが、話の導入が同時代状況へ明らかに介入しようとする問題意識を提示するものなので脱構築批評ってすごく社会批評や政治批評でもあるのではないかとの印象になる一冊。
95佐竹昭広『下剋上の文学』
 トガった室町文学研究。おとぎ話のキャラ造形や展開を取り上げ、文献を渉猟してラディカルさを引き出すように読んでいる。原著は1967年。
96石川忠司『現代小説のレッスン』
 2005年の新書。W村上、阿部和重に舞城王太郎、保坂和志にいしいしんじに水村早苗などをピックアップ。2010年代以降のプレーンな文体と微妙に狂っている焦点人物などが支配的モードになる手前の日本文芸の状況を概観。
97ジェーン ギャロップ『娘の誘惑』
 文学研究者が現代思想を扱った本。精神分析批評をがっつりと扱う。副題は「精神分析とフェミニズム」。原著は1982年。
98斎藤美奈子『文章読本さん江』
 文章読本ジャンルの批判的な振り返りを通した国文学形成史であり、最後にはエクリチュール・フェミニンのすすめに至る。
99ヒト・シュタイエル『デュティ・フリー・アート』
 気がついたら文学研究や文芸批評のものばかり挙げていた。美術批評からこれを。『ニュー・ダーク・エイジ』のジェームズ・ブライドルが打ち出している「新しい美学」とかを念頭にして読める著作だろうかと思っている。
100瀬戸夏子「フェイクニュースは私だ」
 群像2019年10月号掲載。後に個人誌『ディアストーリーナンバーワン』に収録。自分がすぐ想起したのは秋山駿『内部の人間の犯罪』や井口時男『少年殺人者考』だが、むしろ後藤浩子『〈フェミニン〉の哲学』の一節や、何よりも中島梓の社会評論を傍らに置くべきかもしれない。

[了]

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