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『高瀬庄左衛門御留書』(砂原浩太朗 著)は時代小説のおもしろさを満喫させてくれる一冊である。

主人公の高瀬庄左衛門は農村を回り、田圃の検見をする役回りの下役である。妻を亡くし、ひとり息子に仕事を任せ、まもなく隠居しようかという頃に息子を突然、亡くしてしまう。そこから物語は急展開し、お家騒動に巻き込まれてしまう。予期せぬ事態に遭遇しつつも、主人公が持つ穏和で思慮分別のある行動で窮地を乗り越えていく。


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主人公は欲のない人間である。出世しようというどん欲な気持ちもなく、日々、何事もなく人生を終わりたいというような人物だ。

しかし、小説というものは、そういう人物にときとして波瀾万丈な人生を送らせるものだ。ひとり息子を不慮の事故で亡くした庄左衛門は、寡婦となった息子の嫁から慕われ、趣味として描いていた絵を教えることになる。

時折、絵を教える元嫁の弟が不穏な事件に巻き込まれ、庄左衛門は否応なく、さまざまな人物とかかわることになってしまう。1人静かに余生を送りたいと願いつつも、頼まれれば断わることのできない庄左衛門。若き日の出来事とも交錯し、事態は思わぬ方向へ転がっていく。

庄左衛門の人柄のよさゆえか、かかわる人物たちから慕われ、また、それによって彼自身もまた心が救われ、明るい未来が広がっていく。少なくとも、息子を亡くして生きる希望をなくしていた庄左衛門の気持ちは、少しずつ前向きになっていくのだ。

正直に誠実に生きていけば、人生は悪いようには転がらない——そう思わせてくれる小説である。現実の世界が「正直に生きたからといって報われるとは限らない」という身もフタもない時代であるがゆえに、一服の清涼剤のようなすがすがしさを感じさせる。一瞬でも現実から目をそらせてくれる、心があたたかくなる物語といえるだろう。

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