恭しき娼婦

風間俊介さんのファンなので4回観劇しました。席も上手下手中央といずれも良席で幸運でした。初見の後、黄ばんだ原作本も読みました。
 この時代は特に酷かった人種差別。だが物語のテーマはもっと普遍的なものなのだろう。社会構造的に差別は減ってるかに見え、多様性の時代になった現代においても、では心の内面はどうなのだ?と観客に問いかけてくる。上下の差別、横の区別、友敵の区別に通じるのだろうか。色々なテーマが内包しているが、風間くん演じるフレッドに焦点を当ててみる。狂気と弱さの混在、繊細な演技はこれぞ真骨頂。彼は、自分の事を語る時の主語は常にクラーク家 そして一族の先にある白人至上主義のアメリカ、一族を誇りに思うと同時に激しく重圧を感じている。父に対しても従兄弟に対しても。そしておそらく母親に対しても。跡継ぎとして、今でいう毒親のように跡継ぎとして「〜するべき 〜してはいけない」と厳しく育てられているのだろう(年齢は?20代前半?幼い妹たちがいる。彼女達は溺愛されているのか?)おそらく褒められる事も殆どなく。だから、最初こそ従兄弟の一族の名誉回復の為近付いた娼婦リズィの身も心も真っ裸で真っ直ぐな魅力に抗いきれず惹かれていく。情欲だけではない満たされない母親からの承認欲求。例え情事の譫言と言え、自分を認めてくれるリズィ。それは本当なのか?信じきれず何度も確かめる。大きな主語としての白人アメリカ人として、現代から見ればとんでもない理屈で黒人達を、追い詰め、人殺しまでしている。だが満たされずリズィの元に戻る。身体の他のどこでもなく腹に惹かれているのが、母性への飢え乾きなのか。終盤のリズィの気持ちはなんなのか。リズィとて天使ではない。恭しくありたいが生身の人間。金欲や情欲だけではない家、というものへの執着。複雑な感情がフレッドに向かいそして受け入れてしまうのか。そこでフレッド側は初めて大きな主語が、自分だけの主語フレッドになる。紙切れのような扱いの黒人を思えばこの結末はやりきれない。人間は罪の塊に過ぎない。

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