過程
まだ自信がない。
1人、なのか?分からない、の繰り返し
この世にいる沢山の人は自分で癒す術を知っている。
そして、無意識のうちに実行している。
宗教を信仰する人は神を信じてお守りにしている。
宗教感が薄い日本でも、「推し」と言う存在を自分の中に作り出して満たしている。
本当の孤独とは何か。
僕はすがる物もない。すがる人もいない。趣味と言える事もない。
こうして文に起こして自分の感情を確かめる程度だ。
カラダはいつも、なまぬるい。
ココロは喪失感で満ちている。
もう、3〜4年くらい前から感情が薄くなっている。
親のお金で好きな物も沢山買わせてもらった。
見栄を張ってきた。自信の無さの裏返しだと思う。
そして人に見られる所、可視化できる物ばかりにお金を使いすぎた。その結果喜びの感情は薄れていった。
値が張る物を買っても、その高揚感は次の日には無くなる。見て見ぬふりをしてた感情に向き合わなければならない。
おそらく感情の喪失感は、このお金の扱い方にも問題があったと思う。そして、人と関わることからも自然と避けていった結果だ。
自分の内面をもっと理解しなければならない。
ぼくは、人としてとても弱い。
今両親が亡くなったら、ぼくはこの世に留まれる自信はない。すがる物も無ければ未来に希望も無い。天気なんて関係ない。お金もどうでもいい。この感情は今も変わらない。
心の中で見下してる人も、なんだかんだ楽しそうに生きていて羨ましい。みんな無意識のうちに自分を癒しているんだ。故に孤独を感じる。
1人ではどうしてもネガティブになってしまう。
何も期待はしない。争いも疲れる。ビジネスは分からない。ファッションは嫌い。今は自分を大切に。
弱いけれど自分が自分で居られる場所、環境にいなければただのネガティブおじさんのままだ。
星が綺麗な争いのない天国に行く。
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