折に触れて (太平天国 4)

太平天国は「滅満興漢」をスローガンに掲げる。満州族(女真族)を滅ぼして漢民族を盛り上げることを宣言したのである。しかし、冷静に考えれば漢民族って何だろう?漢に並ぶ中国史の代表的な王朝である唐にしても北方騎馬民族の王朝である。清が後から来たと言って満州族だけ毛嫌いするのはおかしいではないか。そんな屁理屈をこねたくなるが、中華という実態のない概念は所詮そんなところかも知れない。今も昔も当座のご都合主義である。
 太平天国のことを書き出した日には先に天地会や哥老会に触れた。彼らのスローガンも「反清復明」である。清を打倒して明(という中華王朝)を復活させよう、ということだ。そういう流れからは太平天国と天地会や哥老会は共闘出来そうに思うのだが事実はそうではない。曾国藩の湘軍や李鴻章の淮軍には団練時代からの天地会や哥老会の分子が多数入っており、むしろ清を助けるために活躍するのである。
 太平天国に話を戻すとその組織運営は後の人民公社的である。農具は太平天国組織のもので、組織の持つ土地を皆で耕し、収穫は皆で分配する。綱紀厳正であり、もちろん軍紀も厳正。よって、山賊と同様の略奪が横行する官軍よりは太平天国軍が来る方がよいということで勢力を拡大出来たのだと言われる。文革時にはこの太平天国の良き時代を賞揚し、共産革命の先駆けとして評価した。毛沢東には天京確保時点の太平天国は一つの理想だったのかも知れない。
 簡単に言えば天地会や哥老会、それに太平天国の拝上帝会もその組織にいると「食える」から人が集まる。湘軍や淮軍に入ると政府が食わせてくれる。太平天国にいると平等に食わせてくれる。司馬遼太郎が「項羽と劉邦」で描きたかったのは食えるところに集まって来る中国庶民の法則だそうだ。その姿は何千年も変わらないし、動物としての人間の動線を中国史は分かりやすく示しているのかも知れない。その意味では第二次世界大戦でアジアの各地において戦死者を上回る餓死者の山を築いた日本人は中国人から見れば理解しがたい民族なのだろう。同じ人間とは思えないのではないか。
 中国の組織は食えるようになると急激に腐敗を始める。食欲・性欲・金銭欲などの人間の根源部分の欲望が噴出してくるようになる。最近でも薄煕来や周永康の失脚劇などを見れば、組織の権力を握れば、公表されている官製情報を話半分としても、やりたい放題にやっている。太平天国も例外ではない。必然として内輪もめも始まる。東王楊秀清と天王洪秀全の「天父下凡」「天兄下凡」コンビの間に摩擦が見え始める。

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