折に触れて

 5月24日の産経新聞には香港に中国内部の国家安全法を導入することを中国人民代表大会が5月28日に決議することを報じた。

これは8月にも香港で公布されるという。現実に28日に決議されたことで香港の「港人治港」の原則や「50年は高度な自治」を鄧小平が約束したことが完全に反故にされた。

そもそも高度な自治を約束するなら、どうして香港の重要事項が北京の人民代表大会で決議した内容でそのまま香港に合法的に通用するのであろうか。

所謂自由民主主義の法体系から見れば、理解不能なことが当然のように通用する。現在、中国内で宣伝されている自己正当化は欧米や日本から見れば異様である。

 国家安全法を香港に押しつける法案の名前は「香港が国家安全を守るための法制度と執行メカニズム」法案というらしい。

産経新聞が報じる中には「香港の行政、立法、司法機関は国家の安全に危害を加える行為を防止し、処罰しなければならない」という条文があるという。産経は「これでは三権分立ではなくて三権協力だ」と論評する。(国家安全の本当の意味は「共産党の安泰」)

 三権分立がフランス革命~アメリカ独立の流れで一般的になっているので、体裁としてそういう全人代を作り、国務院を作り、法院を設けただけと中国は言うのだろうか。中国は中国の歴史や伝統的価値観から三権の上に共産党を設けて何が悪い。共産党の利益がこの国の存在意義だと本音では言っている。

 民主主義は王権が勝手に課税し、人民を拘束・逮捕しないように求めることから始まる。ピューリタン革命、名誉革命もそう。

アメリカの独立戦争はイギリス東インド会社に茶などの専売を許したことが引き金となり、「代表なければ課税なし」というロンドンのイギリス政府の一方的な課税への反発が巻き起こったことによる。以前に書いた日本の天保庄屋同盟でも土佐藩政府の課税権・逮捕権への抵抗を議決している。

 民主主義は一部の人間が恣意に他人の財産や身体的自由を左右できないようにすることから始まり、そのために行政と立法、司法を切り離して独立させ、三権それぞれがチェックし、牽制するように体制を設計する。

基本には基準になる存在(神・仏・天皇など)の存在があり、その体制への信頼が法体系を担保する。

しかし、中国には基準になる存在はなく、あるのはその時点での相対的な力関係だけである。今回の香港での騒動でも「今は共産党が絶大な権力を握っているのだから黙って共産党の言う事を聞け」という論理が全てである。この国のかたちには「人権」という発想は存在しない。

ここ何ヶ月、切り口を変えて同じことを論じている。中国常識執着派が主流なら、中国は相対的な力関係だけで全てを処理する、共産党の利益のために。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?