日本と付き合いたい中国の若者へ

この文章は200X年に愛無躁狸が中国の学生に向けて講演したときのものです。

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 中国と日本は一衣帯水の関係と呼ばれます。上海から飛行機で飛べばわずか1時間足らずの時間で長崎なら到着します。その間は青い海があるのみです。過去2000年の間、中国と日本はその海を隔てた交流を繰り返して参りました。

 2000年の間には残念な時期があったことも事実です。しかし、それは2000年の間の10%にも満たない期間であるのも事実です。かけがえの無い隣国同士として中国と日本はこれからも今までの90%以上の時間がそうであった様に幾久しくお互いを啓発し合える良き関係を維持発展してゆくことを祈らずには参りません。


 過去2000年、日本は中国から数多の事柄を輸入し、それを取り入れて参りました。卑近な例では食べ物、米を始めとしてミカンに至るまで中国から取り入れた食料品は数え切れません。また、何よりも大切なのは物の考え方。儒教、仏教はもとより道教に至るまで直接間接に日本の文化に影響を与えた中国文化の豊富さには圧倒されるものがあります。

 今、日本人が使っている文字、漢字は当然のこととしても片仮名、平仮名も漢字から派生した表音文字であることは皆さんもご存知でしょう。5世紀のころ朝鮮半島の百済を経由して日本に伝わった漢字は8世紀の奈良に都のあった時代には今、皆さんが西洋人の名前の表記などで工夫されています様に発音を当てて万葉仮名という名前の表音表記を編み出し、万葉集という日本語の詩集を完成させました。京都に都を移した次の平安時代にはそれを発展させた平仮名を作りだし、古今集という現在日本で一般的に用いられている漢字仮名混じり表記による詩集が完成しています。9世紀のことです。

 逆に日本から中国に入ったものも沢山あります。先ほどの倣いで食べ物を取り上げれば17世紀ごろから日本から大量に俵物と言われる食材が中国に入っています。干鮑やフカヒレといったものです。中華料理の高級食材として有名なものですね。文化的には「自由」「権利」「民主」などといった西洋のシステムを学ぶ上で必要不可欠な用語は19世紀に日本人が漢字に翻訳したものが中国でも使われています。

 康有為さん、孫文さん、魯迅さん、毛沢東さんといった中国の偉大な近代思想家の皆さんもこういう日本製漢字用語を駆使して自らの思索を纏めておられます。中国4000年の歴史に対して日本史は半分の2000年です。日本から中国へ送った目立ったものがこの500年ほどに集約されてゆくのは日本人として些か残念ではありますがこれも歴史の厚みのせいと思わずにはおれません。しかし、日本も相当のものですよ。今、威張っているアメリカなんてたかだかこの200年の国で日本の10分の1、中国の20分の1ではありませんか。

 話が脱線した様です。


 大学で日本に関係する学問を専攻されている或いは日本関係の仕事に従事されようとしている中国の皆さんにはこういった2000年という我々の祖先から綿々と続けられて来た交流の歴史をまずご認識頂きたいと考えます。その上でそういった先輩達の足跡を辿りながら今後の中国と日本は如何に付き合ってゆくべきなのかを皆さんなりにお考え頂きたいのです。争うよりは仲良くやりたい、利益がないよりは利益を得たい、そういったことは誰もが持っている万国共通の人間としての認識でしょう。何かの縁で隣の国になった中国と日本です。互恵互助の関係で続けられればそれに越したことはありません。アメリカの偉大な大統領の一人に数えられるケネデイのニューフロンテイア宣言、「国があなたに何をしてくれるかを考える前に、あなたは何を国に貢献できるかを考えよう」をもじる訳ではありませんが、縁あって中国と日本という長年にわたる交流の歴史を持った国に生まれた我々は「中国と日本の両国の関係が自分達に何をもたらすかを考える前に、自分は何を両国の関係発展のために貢献できるか」を考えようではありませんか。

 私は、そういう気持ちで一人でも日本のことに興味を持って頂ける中国の方が増えればいいのに、少しでも日本のことが分かってもらえる様になればと考えております。


 そこでまず、中国人と日本人の共通点を御説明することから始めたいと思います。

1. 中国と日本の共通点

  1) 中国人と日本人は顔や姿が非常によく似ていますね。もっとも中国も日本も結構長い歴史の間に血が混じっていて北方系の方もいれば南方系の方もいます。ただ、本当によく似ている。西洋人には見分けがつかないのではないでしょうか。


  私は韓国のソウルの空港で東京行きのカウンターに並んだら英語で「中国行きは向こうだ」と言われたことがあります。日本のパスポートを見せたら納得しましたが、それほど似ている。今、皆さんが流暢に日本語を話したら多分、日本人と勘違いされるのは間違いありません。

2)他に中国と日本の共通点として漢字を使っていることもよく言われます。
これは冒頭お話しました様に9世紀には仮名が発明されて日本人は少しずつ表記方法を変えましたが、とにかく今に至るまで漢字を使うことをやめていないことは事実です。朝鮮半島は漢字を廃していますが日本は今も使用し続けているのです。

3) 儒教の影響も共通点として挙げられるという話も一般に言われています。この点は後で相違点のところでも詳しくお話しますのでよく憶えておいて下さい。確かに5世紀に百済の王仁博士という方が論語を伝えてから儒教は日本の歴史を揺り動かす原動力になっています。私見では少なくとも3回はそういうことがありました。1度は14世紀の建武の中興。これは鎌倉幕府という軍事政権を倒すために後醍醐天皇という方が中心になって行った内戦状態です。朱子学の大義名分論に触発されたと見られています。2度目は17世紀に江戸幕府という軍事政権を安定化させるために初代の徳川家康という方が朱子学を基本に定めて統治を始めたことです。儒教の持つ体制護持の機能を十二分に活用しました。3度目は19世紀の明治維新です。皮肉なことに徳川家康が朱子学のいいところ取りをしていた体制運営がそのメッキが剥がれて、建武の中興の様に大義名分論から言えばおかしい、という異議が噴出し始めました。それに行動学としての陽明学のエッセンスが混じり近代革命へと進んだ訳です。


  中国が阿片戦争他の外圧で目覚めたのと同じ様に日本もアメリカの軍艦4隻の圧力によって目覚めました。そのときに問題にされたのは外交権です。政府の元首は軍事政権のトップか、もしくは天皇かという問題です。中国ではつい100年足らずの前まで科挙が行われて、儒教そのものが試験科目ですのでその影響の大きさは申すまでもありません。
再び申し上げますが、この儒教の問題は相違点の重要ファクターとなっていますのでよく憶えておいて下さい。


4) あまり言われることがないのですが私が最も強く意識するのは中国と日本は同化する力が非常に強いということです。中国と日本はこの千年単位の歴史の中で異民族に統治された経験がありません。


  こう断言してしまうと「五代十国はどうなんだ、何より元や清はどうなのか?日本もつい60年ほど前から10年間、アメリカに占領されたではないか」と首を傾げる方も多いと思います。

  それはそうです。表面的には。しかし翻ってお考え下さい。本当に統治されていましたでしょうか。中国は異民族に武力で圧力をかけられていた時期があったことは事実です。しかし、儒教を基本とする統治体制に大きな変化があったとは言えません。逆に異民族を懐柔して自分のシステムに巻き込んでいったと大きく見れば言えるのではないでしょうか。元や清の時代に科挙は廃止されましたでしょうか?トップはやはり皇帝ではありませんでしたか?


   日本も10年、アメリカの武力に圧力を受けましたが以前からの官僚機構がほぼ残されてそれが高度経済発展の引金になりました。表面はアメリカに従いながらも得るべきは得る方向で進んで来たと感じます。
圧力は受けても逆に相手を同化してコントロールしてゆくことでは中国や日本はよく似ています。


  政治面だけではありません。例えば宗教を見てみましょう。日本人は仏教のお寺にお参りしながら同じ日に神社にお参りすることを躊躇いもなく出来ます。現在も残っていますが神仏混交という考え方があります。日本古来の神様と7世紀になって広がり始めたインドの仏様への信仰をどう考えるか?12世紀の終わり頃知恵者がいていい方便を考えつきました。本地垂迹説という考え方です。

  例えば、私の故郷の和歌山県に熊野権現という神様がいますが、これはインドの阿弥陀如来が日本に出て来るときに日本的な神様の姿となって現れるという考え方です。だから、日本の神様も仏様も所詮は同じなんだと言うことでお寺にも神社にも抵抗なくお参り出来るのです。
  

   中国では仏教もキリスト教も道教的になるのが一般的でしょう。太平天国の上帝会なんかはキリスト教と言うよりも道教の匂いが強い様です。仏教も儒教や道教の影響を強く受けている様です。阿弥陀や弥勒信仰を基調とする浄土信仰は仏教というよりも老荘思想からの虚無の思想が色濃く見出され、用語も老荘からの輸入が多い様です。臨済禅にも別の意味での老荘化仏教の傾向が見られます。


  ことほど左様に中国も日本も外来のものを自家薬籠中のものとし、換骨奪胎しながらオリジナルの姿とは違ったものに変容させるのが本当にうまい。伊達に千年単位の歴史を持っていない、と申せましょう。


   この同化する力が強いという共通点もまたよく憶えておいて下さい。儒教の話と並んで相違点の話に関係が出て参ります。

2. 中国と日本の似て非なるところ

1) 中国と日本は基本的に歴史の厳しさに大きな差があります。大陸国家で周りを異民族、特に北方の匈奴などの騎馬民族の脅威にさらされていた中国とは異なり日本は島国であり外国から攻められる恐怖にかられた経験は2000年の間に5度あるのみです。しかもそのうち3回はこの100年あまりの時期に集中しています。

   1度目は朝鮮半島で百済が滅び、新羅や唐の攻撃に震えた7世紀。2度目は13世紀に元から大軍が2度にわたり九州に来寇したとき。3度目は阿片戦争で中国が西洋諸国に侵略され、日本にもアメリカの軍艦が来た18世紀。4度目は朝鮮半島をめぐり日本とロシアの利害が対立した日露戦争前後。最後は申すまでもなく20世紀の第2次世界大戦がそれにあたります。

   絶えず外敵の侵入に備えねばならなかった中国とほとんどが自国内の話のみで過ごして来た日本では国民の意識の持ち方が根本的に違って来るのは当然です。中国の方は1人1人が自分の身は自分で守ることを当然に考えておられる様に見えます。

  それが何かのときにもっと力を発揮せねばならないので宗親会などを各地で作って血の流れで団結しようとする。これは過酷な歴史から導かれた自己防衛の必然かも知れません。

  日本人はどこに行ってもいるのは日本人ですし、昔は方言が今から想像できないほど違っているとは言っても、例えば能や狂言という日本の古典芸能の言葉を使ってコミュニケーションする方法はあったので訳の分からない人達との交流を強いられることはほとんどなかったと言えます。異種交流の経験が乏しいことから世界で一番他人を信じやすい国民は多分、日本人ではないかとも思います。


  逆に世界で非社交的な国民も日本人なのかも知れません。世界の主要都市には必ずと言っていい程チャイナタウンがあります。また、日本人駐在員が日本人の間での付き合いばかりしてなかなか現地社会に溶け込んでゆかないこともよく指摘されます。これら外国での生活で同国人仲間で群れることは一見、同じ様な傾向ですが中国人が自己防衛本能からそうしているのに対し日本人の場合は社交下手からそうなっている傾向が強い様に思えます。長い歴史の中で他国人との接触がほとんど無かったことからどう付き合ってよいか全くわからないという面が強いのではないでしょうか。

2) こういった事象的にはよく似たことでも中国と日本ではその根元は全く違うことが多く存在します。先ほど共通性でご説明させて頂きました儒教の影響も実は相違性の説明の対象とも言えそうです。つまり、儒教原理主義の立場、これは中国とその優等生である韓国などに見られますが、儒教の考え方が身近なことから大きな世界に敷衍するという考え方であり「修身、斉家、治国、平天下」をその順番に考え行動します。それ故「仁義礼智忠信孝悌」という徳目のうち個人がまず基本にすべきは親を敬うことの「孝」、兄を敬うことの「悌」であり、これが十二分に果たせないならば儒教の世界では落伍者とならざるを得ません。


  その証拠に漢書を初めとする所謂正書を紐解けば儒教が中国の各王朝の基幹をなす様になってから政権担当者が口うるさく「親孝行者を推薦する様に」布告していることに気づかれるでしょう。つまり、中国で出世するためには親孝行でなければなりません。現代の皆さんも多分、非常に親孝行な子供たちであると思います。


  しかし、考えて下さい。親がどうしようもない人の場合もあるでしょう。また、親孝行もいいがそれでは仕事にならない場合もあるでしょう。そういったときにはどうするのでしょうか?
  

  儒教原理主義ではそういう場合でも親孝行が第一です。清に至るまで、相当に厳しい情勢であっても親が死んだということで即座に公職を辞して3年間服喪した大臣級の実力者が中国の歴史の至るところに見受けられます。つまり公よりも私を優先するのが当然でありそれを社会、国家が認めていたということです。


  日本の場合は儒教原理主義から見れば儒教と呼べない日本式儒教です。5世紀に論語は入って来たもののその本格的受容にはかなりの時間を費やしており本格的に儒教と呼べるものが国家体制を左右するのは17世紀徳川軍事政権の成立を待たねばなりません。それ以前の儒教は先に申し上げました後醍醐天皇のころに政治体制を覆す様なことをしたりはしましたが一般に教養のレベルに留まっていた様です。

   例えば平家物語という12世紀末の源氏、平氏という二大軍事集団の争いを書いた小説がありますが、この中に「忠ならんと欲すれば孝ならず」という名文句が出て来ます。天皇家に公の真心を捧げようとすれば私の親孝行に反する、という意味ですが、この名文句を呟いた平重盛という男は結局、家に引きこもり公にも私にも活動しません。儒教原理主義なら躊躇無く行動できる筈ですが教養に留まっている証拠の様に思えます。


  先に私は「17世紀に徳川家康が軍事政権の体制護持のために儒教を取り入れた」と申しました。あくまで軍事政権の便宜のために採用した儒教です。親孝行はいいが戦争になっても服喪があるので従軍しない、などと言われたら大変です。公の組織には真心を尽くせと要求したいけれども儒教の本質は私重視です。日本には知恵者というかいい加減な人間がいるものです。「忠孝の一致」なんて概念を創り出してこの矛盾を説明しました。

   例の本地垂迹説同様の見事なまでの換骨奪胎です。
「主君へ真心を尽くすのは親に孝行することと何ら変わらない」と。これの行きつく先が明治から第2次世界大戦までの天皇制の政治機構です。「臣民は天皇の赤子」なんて内容が勅語として出される。
そうなると「天皇への忠は親への孝である」などという訳の分からないロジックがまかり通ることとなりました。


   中国や韓国の儒教は私重視の個人から社会へ徳を演繹してゆく儒教原理主義です。それに対する日本式儒教は公重視の社会或いは集団から個人に帰納してゆく特殊な儒教と申せましょう。
それゆえに日本における集団の位置付けは従来非常に高かったという事実があります。会社のために家庭を顧みない父親。会社の名誉保全のために自殺することさえ特別不思議でない様な雰囲気がありました。集団組織には忠を尽くすことが当然とされて来ました。


   現在の日本はアメリカ式個人主義が入って来たために以前の様な集団組織に忠を尽くすなどという考え方は若い世代になればなるほど希薄になって参りました。
   逆に私権の強調が過ぎて集団のハーモニ―を損なう面さえ出て参りました。しかし、17世紀以来400年にわたる儒教の影響がわずかな年月で消え去ることはありません。今も日本社会の至るところで
その影響を垣間見ることが出来ます。

3) 先に中国と日本の共通性に「同化する力」があると御説明致しました。これを部分的に修正したいと考えます。
中国における同化する力は自己に向けたベクトルでの同化を示します。悠久の中国の歴史から生まれた文化に外来のものは同化されるべきだ、ということです。


   日本の同化は必ずしも自己に向けたベクトルではなくてもプラグマチックに便宜によって同化してゆきます。先ほど私は徳川軍事政権が便宜的に儒教を導入して換骨奪胎した、と申し上げました。この姿勢が典型的な日本式の「同化」です。


   よく似た者同士ほど違いが気になるという経験はないでしょうか。大筋は同意見でも本当に手法の違いや細かな部分の違いでやらないでもいい論争を長々とした経験はありませんか?
  

   中国と日本も表面から見て大きな部分はよく似ているのだと思います。西洋人から見て区別がつかないのは別に外見だけではないと思うのです。
大きく見れば、儒教に、仏教に、道教に影響を受けた歴史を持つ2つの国家です。ただ、それぞれの国土の違い、風土の相違などがあり、部分部分での意見の相違習慣の相違があるだけなのだと考えます。

   お互いの共通点を大切にしながら、お互いの相違点を認め合いながら共に互恵互助で行けるならば他のどの組み合わせよりも素晴らしいパートナーシップを発揮出来るのが中国と日本であると考えます。
    

長らく両国の体制の根幹をその呪縛で抑えていた儒教原理主義も日本式儒教も今や教養のレベルでしか影響しなくなって参りました。今こそ若い世代が自由に闊達に意見を述べ合い、WIN-WINの交流を始める時なのだと思わずにいられません。

4.日本と付き合いたい中国の若者へ


1) 最後に日本と付き合いたい中国の若者に日本と付き合う場合の注意点というか、ちょっとしたノウハウを話させて頂きましょう。
今日お話させて頂いたのは日本と中国の似ている点、異なる点のほんの一部分です。勿論、毎日日本人と中国人が付き合いを始めれば今日申し上げたこと以外にもそれこそ無限に似ている点、異なる点
が発見されることでしょう。
 
2) 今、一つだけ日本人と付き合いたい中国の若者に申し上げるべき事柄を上げるとすればそれは「和の精神」ということではないでしょうか。
7世紀に聖徳太子という今で言う総理大臣であり、最高の知識人で儒教、仏教を初めとするあらゆる学問に秀でた日本史上の巨人がいました。一度に10人の訴えを聞いてそれを一つ残らず瞬時に裁いたという伝説があるくらい賢い人物です。
今でこそ変わりましたが、日本の最高金額紙幣の絵柄として延々と50年存続したのが聖徳太子の肖像です。
その聖徳太子が日本最初の憲法を17条定めましたが、その一番初めに書かれているのが「和をもって貴しと為せ、さかうることなきことを宗とせよ」という一文です。

3) 日本の会社に入ると奇妙なことを経験されると思います。会議が非常に多いにも拘わらず各個人が意見をいいあう活発な議論が為されない。お互いが他者の顔を窺って雰囲気を量り、何となく全員一致の結論を作り上げる。こういう会議ですから時間は非常に長くかかる。一人の強い意見にも流され易い。日本人は「和」が大事ですから他者とのフリクションを極端に嫌がる面があることからこういうことになります。

4) 日本人が何かにつけ「すみません」「ご免なさい」とよく謝るのもすぐ目につくことでしょう。これも他者とのフリクションを嫌うことから取りあえず下手に出て丸く収めたいという気持ちの表れがそういう行動に出るのです。

5) 自分の身は自分で守ることが当たり前の様な欧米人や皆さん中国人の人から見れば何とも奇妙に映ることでしょう。
今、世界の常識はきちんと自己主張することがベースになっていると言って過言ではないと思います。この点に関しては欧米や中国の方々は優等生であり日本人は明らかに劣等生です。日本の歴史や風土がそういう訓練をしない様にさせて来た国民なのですから。外国の方からよく言われる日本人は曖昧、何を考えているのかよく分からない、という印象も同じことを言っています。


これは大陸性国家が絶えず異民族との交流やフリクションに晒されていたことに反して島国の日本は島の中でみんな仲良く穏やかにやっていれば一番幸せであったということが大きいのだと思われます。

6) こういう日本人の様な民族は共通の敵がある場合は一致団結して戦いますから考えられない力を発揮します。惜しむらくは良いベクトルに向けて一致団結するときには素晴らしい成果を上げますが、悪い方向に向かっても一致団結するという弊害もあるということです。

7) ともあれ、日本人の歴史的な習性がすぐに変わることはないとすれば、日本人と付き合う場合はまず「協調性」を重要視して下さい。多少、自分の言いたいことを譲ってでも協調することがチームワーク至上主義の日本人との付き合い上のちょっとしたノウハウになります。


   私個人としてはこういう「ことなかれ主義」に通じる様な考え方には首を傾げる部分があります。しかしながら、そういう私自身が日系の会社を運営するにあたってやはり協調性を重要視しているということも自覚しています。必要悪ということでしょうか。

8) 非常に難しい結論を申し上げます。日本と付き合いたい中国の若者に望みたいことはこういった似ている、異なっている両国民の性質をよく認識しながらお互いが幸せになる方向性を見つけて日本人とともに努力頂きたいということです。


以前の2000年間はいろいろありましたが今後の2000年の土台を作るのは21世紀にいる我々です。共に頑張って行こうではありませんか。

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