折に触れて

 2005年の反日運動は江沢民による2007年人事への布石と見られる。胡錦濤や温家宝の足を引っ張り、次期の政治局常務委員の構成を自分のシンパに有利に傾ける意図があったように思われる。

この目論見はある程度成功し、2007年の第17期1中全会でも江沢民の思惑でコントロール出来るメンバーで政治局常務委員は過半数を占められることになる。

 胡錦濤、呉邦国、温家宝、賈慶林、李長春、習近平、李克強、賀国強、周永康という構成でこの時も9人が政治局常務委員になった。温家宝と李克強以外は江沢民の息がかかったメンバーであり、単純に見れば3対6で圧倒的に江沢民に牛耳られている。

 この2007年はリーマンショックとも称される世界金融危機が起こった年であった。アメリカは中国に国債引き受けを依頼し、ポールソン財務長官と王岐山副首相(現国家副主席)との間で合意がなされ、翌2008年には中国はアメリカ国債の最大引き受け国になる。

温家宝国務院総理が4兆元の財政出動を発表する。後に功罪半ばすると言われるこの決断で中国は世界の主要国の中でいち早くV字回復を実現する。

全国に瞬く間に拡がった高速道路に高速鉄道(新幹線)、折しも2008年北京オリンピックと2010年上海万博をひかえた当時の中国には公共投資のネタに困ることはない。投資・投機何でもござれの中で経済規模を拡大し、一気に世界第二の経済大国の地位を確たるものとする。

 温家宝総理はおそらく予測していたであろう。この4兆元が次の時代にはインフレと金融不安を巻き起こすであろうことを。だが、一旦加速をつけて回り始めた経済は行き着くところまで走らなければスピードを緩めない。

とりわけ不動産投資が加熱し、都市部では一軒のマンションは日本円で1億円以上が不思議でなくなり、一般の人民には到底手が届かないものとなった。

反面、富裕層はそういうマンションを何軒か所有し、投資の対象として行く。若い男性たちは、マンションと自動車を持っていなければ女性に結婚相手として意識されなくなり、ますます不動産市場が過熱する。

1人っ子政策の歪みもあって、ただでさえ適齢期の男性は女性よりも3000万人多いと言われる中で中国の平均収入以下の若い男性にとっては夢の持てない時代となる。

 産業の歪みも甚だしくなる。公共事業の拡大はセメント産業や鉄を含む各種金属産業の生産増大をもたらし、上海万博後にはすぐに生産過剰の弊害が顕著になる。筆者自身もこの経済拡大時期は常に「いつまでこれが続くかな」という意識が頭の隅にありながら、目先の利益を追求して日々を過していた。

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