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9割が勘違い!? 出始めと今とでこんなにも違う“キラキラネーム”の定義

個性的すぎて読めない名前を指す用語として「キラキラネーム」が一般的になり、この呼称が日常的に使われるようになって久しくなりました。今や「キラキラネーム」という用語は完全に市民権を得ています。しかし、こういった名前が出始めた約20年前には、ネット上で「DQNネーム(どきゅんねーむ)」と呼ばれ、賛否両論の「キラキラネーム」と異なり、完全に嘲笑の対象でした。

「DQN(どきゅん)」とは、「目撃ドキュン」という番組名に由来する「『目撃ドキュン』に出演するような低学歴で非常識な人たち」を指すネットスラングです。よって「DQNネーム」とはそういった性質を持つ親がつけるめちゃくちゃな名前を、非難・揶揄の意味をこめて言ったものになります。

対して、そういった名前を擁護・奨励する側が、「キラキラname」というサイト名から取って「キラキラネーム」と呼び始めたのが、この用語の始まりと言われています。

すなわち本来の「キラキラネーム」という用語は、こういった名前をポジティブに捉える言葉であり、批判をする文脈においてはあまり適切な呼称ではありません。かといって「DQNネーム」という呼び名は、名づけ親の学歴や社会的地位などへの差別的意味が込められており、こちらもまた適切とは言いがたい状況にあります。

ただ、現在では賛成派も反対派も概して「キラキラネーム」と呼んでおり、これが一番伝わりやすいと思うので、本記事でも「キラキラネーム」という語を用います。

キラキラネームの出始めの頃は、今鹿(なうしか)光宙(ぴかちゅう)男(あだむ)皇帝(しいざあ)世歩玲(せふれ)など、あまりに極端で、実在が怪しく、創作ネタのように見えるものも多くありました。

しかし、ここ10年ほどの“読みにくく違和感を覚える名前”の主流は、何といっても、もともとの漢字の読みの一部分だけを好き勝手に切り取って用いたものです。たとえば、楓(か)渚(な)希(の)春(は)姫(ひ)夢(ゆ)などが挙げられます。いちいち言うまでもないとは思いますが、それぞれ本来、楓(かえで)渚(なぎさ)希(のぞみ)春(はる)姫(ひめ)夢(ゆめ)という読みであり、上記の例は各自から正当な理由なく一部だけを切り取って用いたものになります。

切り取られる部分も先頭に限らず、空(そら)から空(ら)、絆(きずな)から絆(な)のように末尾を取るものや、葵(あおい)の真ん中だけ取って、葵(お)などとするパターンもあります。激しいものでは、光(ひかり)から光(り)、祐(たすく)から祐(く)などという、本体の意味・読みをまったく無視して、活用語尾の一部のみを使った例も見られます。また、心(ここ)桜(さく)菫(すみ)といった二音の例も少なくありません。

ネット上ではこれを「ぶった切り」と呼び、さらに揶揄の意味をこめて「豚切り」と書くこともあるそうです。私はこういったパーツ、およびそのパーツを使った名前を「一部引きちぎり型」と呼んでいます。これが現在のキラキラネームで最も多い型であり、今のキラキラネームの代表格と言えるものです。

そもそも、なぜこういった型が生まれたのでしょうか。それは、既存の選択肢への不足感ではないかと考えています。

現代の名づけは、響きから考えるのが主流です。よって、響きの候補が挙がった後で「つけたい響きに相当する漢字には何があるか」を追って調べることになります。たとえば女の子の名前に多い「あ」という音に当てることができ、かつ法的に使用できる漢字には「阿」「亜」「安」などがありますが、逆に言えばこの程度しかなく、希望するイメージに合うものがないと不満を抱く親もいることでしょう。そこで、碧(あお)から一部をちぎった碧(あ)、秋(あき)から一部をちぎった秋(あ)、綾(あや)から一部をちぎった綾(あ)などが次々と生み出されていきました。

男女ともに人気の「ま」について言えば、「真」「馬」「麻」「磨」「摩」「万」「満」などが既存のものとしてあります。なお「間」や「魔」も「ま」と読むのですが、人名にはふさわしくないとして、最初から除外されがちです。しかしこれらレパートリーに満足しない親たちが、舞(まい)から舞(ま)、正(まさ)から正(ま)、誠(まこと)から誠(ま)などを作り出していったと見られます。

極端なものでは、大和(やまと)から和(と)、永遠(とわ)から永(と)、紅葉(もみじ)から紅(も)のような、熟字訓の一部だけを無理やり切り落としたものもあります。熟字訓とは「二文字以上の漢字を合わせて一つの意味をなすもの」であり「一字一字に読みを割り振ることができないもの」です。つまり、熟字訓を持つ熟語を一文字ずつにした段階で、漢字と読みの関係は失われるのですが、漢字を分けたら読みも割合的についてくると思っている人が多いのか、極端な例にもかかわらず現実にしばしば見受けられます。特に和(と)は、残念ながら、非常に多くの男子名に用いられてしまっています。

このタイプで最も複雑かつ、その複雑さに反して最も多いのが、陽葵(ひまり)であり、女の子の人気ランキングで1位になったりもしています。向日葵(ひまわり)という熟字訓から、「向」字が抜け落ちて日葵(ひまわり)となり、「日」という漢字を人気の「陽」に置換して陽葵(ひまわり)となり、ここからさらに「ま」の音を省いたのが陽葵(ひまり)であると考えられます。「向」字の脱落、「ま」音の脱落、「日→陽」の置換には前後があるでしょうが、由来となった一般語に改造を施しすぎてわけがわからなくなっているのが、この名前となります。なお、「ひまり」という名前の植物は存在しません。

一部引きちぎり型に次いで多いのが、漢字の単純な誤読です。

議論は進んでいるようですが、今現在のところ戸籍に読み方は記されておらず、ある漢字をどう読んでも構わないことになっています。こういうところから、明らかな誤読であっても、届出が通ってしまう現実があります。

このタイプには特に、佳(けい)柊(とう)颯(ふう)など、その漢字を構成する一部分の漢字()と同じ読みだと勘違いしたケースが多いように見受けられます。上記の漢字の正しい読みはそれぞれ、佳(か)柊(しゅう)颯(さつ、そう)です。誤読は音読みに限らず、羽(は)と混同したと思われる翔(は)真(ま)と混同したと思われる慎(ま)も存在します。

音読みで最も多い誤読は佳(けい)柊(とう)かと思われますが、訓読みで最も多いのは、圧倒的に叶(と)です。「叶」は訓読みが「かなう、かなえる」、音読みが「キョウ」で、元をただせば実は「協」の別字体です。「叶」を「と」と読んだ理由は、右側の「十」の訓と同一視したものと想像されます。

誤読タイプは「正しい読み方は知っているが、あえて無視した」のではなく、「単純に知らなかった」というケースが多いように感じます。辞書を一度引いていれば避けられた可能性があるだけに、非常に残念です。

数で言うと多数派ではありませんが、しかし確かに実在している型が、漢字の外国語読みです。冒頭のDQNネームの例で上げた今鹿(なうしか)今(なう)がそれに当たります。具体的な実例としては、空(すかい)虎(たいが)愛(らぶ)などが挙げられます。

このタイプで最も多いと見られるのが月(るな)で、これはキラキラネームの黎明期から実在が複数確認される、古典キラキラネームの代表格とも言える存在です。外国語読みは大半が英語なのですが、そうではないという点でやや異質でもあります。

以上、現代に多いキラキラネームの三形態を挙げましたが、これらの合わせ技も存在します。中でも“外国語読み”+“一部引きちぎり”が時々見受けられ、月(る)虎(たい)愛(ら)が実際に確認された一例です。

一つ断っておきたいのですが、こういった奇抜な名前は今に始まったことではありません。ためしに「明治 キラキラネーム」や「大正 キラキラネーム」で検索してみれば、かつてのめちゃくちゃな名前の例がすぐに見つかります。

しかし、昔にこういった名前が実在したことが、現在のキラキラネームを擁護する根拠にはなりません。それに現代で特に何が問題なのかと言えば、こういった名前が大流行していることです。人気ランキングの1位になるなど、まさに未曽有の事態と言うほかありません。

奇妙な名前は以前にもありましたが、それはあくまで一部の変わり者が単発的に作ったものであり、白い目で見られるのが当然でした。一部を引きちぎったり、外国語の読み方を当てたりしたいびつな命名が急速に拡大しているのを見ると、これは一種の感染症なのではないかと言いたくもなります。

ただ、あまりに広まりすぎてしまったためか、テレビや雑誌などのメディアでは面と向かって糾弾できなくなっている状況のようです。なんなら制作陣の中に、キラキラネームの該当者がいる状況なのでしょうから。よってメディア等では20年前の例をいつまで経っても代表例のように扱い続けており、社会一般的には「名づけるべきでないキラキラネームとは、光宙(ぴかちゅう)の類である」という認識のまま停滞しているように映ります。これでは“真のキラキラネーム”の拡大に歯止めがかからないのも仕方ないのかもしれません。

しかも、命名の参考として用いられる名づけ本名づけサイトがその拡大を助長しています。名づけ本や名づけサイトは、その著者全員がキラキラネーム推進派なのではないかと疑いたくなるくらい悪例にまみれており、直視に堪えません。名づけ本がいかにダメかについては、拙稿「ダメダメネームを作ってしまう前に読む本」をご覧ください。

大和から和(と)や、永遠(とわ)から永(と)といった、熟字訓剥離を自力で思いつける親が、実際に見られる名前ほど多いとは考えにくいので、おそらくはどこかの名づけ本や名づけサイトで紹介されているのだと想像します。

ところで私は、こういった名前に対するもっと適切な呼称がないかと、常々考えておりました。「DQNネーム」は名づけ親の性質に対する差別的なニュアンスを含みますし、実際のところ、学歴も社会的地位も高く、収入も教養もある人がこういった名前をつけていることも多いので、これを代表用語とするわけにはいきません。

とは言え、元来こういった名前を支持する意図のある「キラキラネーム」を批判の場に用いることにも違和感を覚えます。かつて「ダメダメネーム」という呼び方をしてみたこともありますが、私自身しっくりきていないのが正直なところです。もっと実態に即し、かつ大衆に訴えかけるインパクトのある呼称が必要なのではないかと悩んでいたのです。

上に例示したように、漢字の元の読みの一部分だけを引きちぎったり、外国語の読み方を当てたり、誤読を放っておいたりして作られた名前は、不安定でとっ散らかった印象を与えます。よってこれからはこういった類の名前を「ガラクタネーム」と呼ぶことにします。

こういうことを言うと、「親が愛情こめて一生懸命考えた名前を否定すべきでない」と反論されることもありますが、私は歴史的・文化的・社会的な側面から批判を加え、遺憾の意を表しているのであって、ここに親の愛情云々は関係ありません。名づけた親と名づけられた本人の、人生や人格を攻撃する意図が一切ないことも言っておきます。

親や本人の地位・人格に触れず、しかし決して称揚の意味も持たせず、名前そのものを純粋に非難するものとして今後は「ガラクタネーム」という呼称を使うようにします。

上記の通り、名づけ親の地位・性格・愛情云々に触れて論じるつもりはないのですが、既存の読み方をしっかりと調べ、その上で創意工夫することを放棄し、一部引きちぎりのような安易な改造に流れてしまうのは、子供じみたわがままであるとは言っておきます。言葉も名前も変化していくものではありますが、一部を引きちぎったり、外国語の読みを当てたり、誤読を放置したりする近年の変化はあまりに浅薄で稚拙です。

私が保守的である自覚はあります。しかし私は何も「昔は良かった! 昔に戻れ!」と主張しているのではありません。古代には屎麻呂(くそまろ)、中世には夜叉御前(やさごぜん)といった個人名が、さほど特別でもなく存在していましたが、現代にこれを持ち込もうとする気持ちはさらさらありません。

私が繰り返し主張したいのは、一部引きちぎり型の名前は決して美しくなく、子供のためにもなっていないということです。そして真に良い名前をつけるには、「名づけ本を読まないこと」「名づけサイトを見ないこと」「国語辞典・漢和辞典を引いて、そこにある読みをそのまま使うこと」が必要であると信じています。



……さて、ここまで言ってきたところで、こう思った人もいるのではないでしょうか。「タイトルには、今と昔でキラキラネームの定義が変わったように書いてあるが、一体どこがどう変わったのか」と。

その感想は正しいです。キラキラネームの定義はずっと「日本語のルールに反した読みにくい名前」です。一部引きちぎり型が多くなっていることは事実ですが、あくまで同じ定義の上で、勢力が変化しているに過ぎません。これに私がガラクタネームという新しい呼び名を与えたことも、「定義が変化した」ことにはなりません。

はっきり申し上げて、嘘つきました。

加えて「9割」という数字に何の根拠もありませんし、上記の通りどこかでキラキラネームの「定義が変化」したわけでもないと思います。なんかこう、ヤフーニュースの見出し的なタイトルにしたら、閲覧数とか変わってくるのかなー、と思ってみた実験です。

実際ヤフーニュースにも、タイトルに「衝撃の事実」とか「意外な共通点」とか書かれているのに、本文を読んでもそれがどれのことかわからない記事にしばしば遭遇しますが、別にそれを皮肉る意図はありません。とりあえず今回は。

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