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「まあ、なんて可愛い耳」

私は
東京オリンピックの真っ最中に生まれた。
大きな赤ちゃんだったので、
なかなか出てこなくて、
母は陣痛で2日間も苦しんだ。
父は産院で待ちながら、
オリンピックを観ていたそうだ。

テレビ嫌いの父は
ふだん、テレビを観なかった。
観ずにはいられない心境だったのだろう。

原爆当日に広島市内を横断し、
一時は命が危ないと言われ、
原爆手帳を持っていた父は、
周囲からそれとなく、
「生まれてくる子が無事だといいが…」
と囁かれていたようだ。

被爆した人の子どもは、
無事では生まれない。
それが本当なのかちがうのか
科学的に証明されていなくても、
多くの人が気に病んだ。

私は一応、
なんの問題もなく生まれた。
体重が重すぎて、
出るのに苦労しただけで、
医者の見立ては「健常」だった。
父と母は
全身の力が抜けたそうだ。
心配で心配で、
たまらなかったからだろう。

もともと陽気な母は
鼻歌まじりで産院の病室を出て、
私を抱っこして
廊下をうろうろしたりした。
ほんの5か月前、
父は交通事故で命を落としかけていた。
母ひとり子ひとりで生きる覚悟までしていた。
とにかく緊張しどおしだったのだ。
父が退院し、
私が生まれて、
ようやくほっとできたのだった。

そんなとき、
同じ産院で赤ちゃんを産んだばかりの
お母さんが
話しかけてきたそうだ。
母は社交的で、
すぐ人と仲良くなる。

その人は、
母が大事そうに抱っこした赤ちゃん(私)を見て、
「まあ…可愛い…」と言った。
生まれてまもない赤ちゃんだもの、
大抵の人がそう言うだろう。

母は気をよくして、
ますますいろいろと話そうとしたが、
その人は私の顔をまじまじと見て、
「まあ、なんて可愛い耳…」と、
耳にくぎづけになっていたそうだ。
そのお母さんは、
何度も何度も
「何回見ても、いいお耳」と言った。

陽気な母も
「耳しか、ほめるとこないのかな~」と、
ちょっと不思議に思った。
そのお母さんとは、
それだけの縁で、もう会うことはなかった。

あとで看護師さんに
そのときの話をすると、
その人の赤ちゃんは、
生まれつき耳がなかったのだと聞かされた。

耳が。

母は自分のことしか考えず、
浮かれていた自分を恥じた。

「耳がない」といっても、
いろいろな状態があるだろうけど、
あまりのショックに、
もうそれ以上、
看護師さんに尋ねることはできなかった。
あのお母さんの様子から、
パッと見て
「耳がない」という状態だったのだろう…
そう想像するだけだった。

この世にはいろんな子どもが生まれる。
母が出会ったあのお母さんは、
たぶんとても辛かっただろう。
母親は自分を責めることも多い。
母親のせいではないのに、
「ふつうの子どもに産んでやれなかった」と、
自分自身を責めてしまうことが多い。

母は生前、
この話を私に、
何度も何度も聞かせた。
そして私に
「アンタが無事に生まれたからねえ、
ああもう大丈夫って、
安心しきってたんやねえ…。
モモコには
可愛そうなことしたねえ…。
ああいう子に生んでしもうてねえ…」

私が生まれて幸せの絶頂にあった父と母に、
モモちゃんが生まれ、
モモちゃんが3歳のときに
「知的障害児だと思われます」と言われる。

耳のない赤ちゃんを生んだお母さんと会って、
複雑な気持ちでいたあのときから、
5年が経っていた。

私は
モモちゃんが「可愛そうな」「ああいう子」というふうに
思わないようにしている。

でも、
それは妹だからかもしれない。

もし自分の産んだ娘だったら、
どんな風に思っていただろう?

いやいや、
もう今は昭和じゃない。

私はやっぱり、
モモちゃんが「可愛そうな」「ああいう子」というふうには、
思いたくない。

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