見出し画像

「水分補給を、飲みに来ました」

シャワーのあとや、
ドラマを観たあとなどに、
モモちゃんにお水を渡している。

「水分補給しようね」

最近はモモちゃんも、
ちょっと意識しているみたいだ。

「水分補給を、飲みに来ました」
とダイニングに来ることがある。

私からモモちゃんへの最初の声かけは、
夏を迎えてしばらくしてから、
シャワーのあとの
「お水、飲んでおこうか」だった。
モモちゃんは
とくに「飲まない」という様子でもなかったけど、
私は長々と説明した。

「あのね、
夏は暑いし、シャワーしたら汗をかくでしょ。
水分補給をしておかないと、
熱中症になるからね。
熱中症になっちゃったら、
救急車で入院になるかもしれないからね」

そしてモモちゃんに尋ねた。
「救急車で入院がいいですか?」
モモちゃんは「イヤです」と答えた。

私「飲みますか?」
モモちゃん「飲みます」

水を飲むだけのこと。
でも、
のどが渇いて自分から飲みたくて飲むのではないなら、
やっぱり理由をわかってほしい。
毎回説明するのはたいへんなので、
単なる「お水を飲もうね」ではなくて、
「水分補給」というワードを使うようになった。

そしたら
「水分補給を、飲みに来ました」
になっちゃった。

モモちゃんの血糖コントロールで、
目を血走らせているときも、
私はモモちゃんに
メニューを提案するのではなくて
できるだけ「何が食べたい?」と尋ねるようにしている。
食べたいメニューに野菜が足りていればOK、
そうでなければ、
「野菜が足りないから、枝豆も食べる?」と尋ねる。

この「何が食べたい?」は今後、
デイサービスやショートステイの利用で、
ネックになってくるのでは…と少し不安。
それでも、
「今日のメニューはコレだから」と、
モモちゃんの意向を尋ねずに
用意するのは抵抗がある。

家族くんも血糖値が上限すれすれなので、
やはり私は目を血走らせて、
野菜中心のメニューを用意している。
それは家族くんも了承済みなので、
何が出てきても、大抵のものは食べられる。
でもモモちゃんにとって、
食事は数少ない楽しみの一つ。
モモちゃんの希望を尋ねずに
メニューを決める気には、どうしてもなれない。

「お水を飲みなさい」
「これを食べなさい」

こちらの都合ばかりが勝ってしまうと、
もともとは「相手のために」と思っていたことが、
いつのまにか「支配」になってしまう。
口には出さなくても、
「黙って、いうことをきけ」という
オーラが出てしまう。

「支配」って、
「支える」と「配る」でできているのに、
どうして熟語になると、
いい意味で使われないんだろう?
前々から不思議に思っている。

立場が強いほうの人間が、
正論ばかりを振りかざすと、
「支配」になってしまう。
以前に読んだ記事が、
小さなトゲのように引っ掛かっている。

自分から望んだわけではないけれど、
私とモモちゃんが暮らしていれば、
どうしても私のほうが
いろいろ決めたりできてしまう。
「立場が強い」とは思いたくないけど、
そこはちゃんと意識していなければ、
モモちゃんの気持ちを
簡単に踏みにじってしまうことになる。

私と家族くんが
ダイニングで話をしていると、
モモちゃんが乱入してくる。
何の話をしていようが、
お構いなしにカラオケの話なんかがはじまる。
誰よりもでっかい声で。

その場はもう断然、
モモちゃんの声に支配されてしまう。

ここで「ねえ、ちょっと聞いて」
なんて、声をかけてくれればいいんだけど、
いきなり
「あさって、昨日のチョコレート!」などと乱入してくる。

こういうときのモモちゃんは最強。
誰もさからえないから。

私たちは
「わあ、モモちゃんに場を支配されちゃった」
と失笑だけど、
モモちゃんは
お姉ちゃんたちを支え、
気持ちを配りにわざわざ来ているのかもしれない。

そばに来てくれなくなるより、
来てくれるほうが、ずっといい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?