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「ありがとう」は最強の遺産

モモちゃんと電車でおでかけするとき、
駅員さんに必ずお世話になる。

駅員さんは、
モモちゃんが車椅子で電車に乗れるように、
わざわざホームまで来て、
一緒に電車を待って、
さらに降車駅に連絡を入れて、
スムーズに電車から降りられるように、
連携をとってくれる。
とてもありがたい。

私とモモちゃんは口を揃えて
「アリガトゴザイマース」とお礼を言う。

モモちゃんと私は
まだバスを利用したことはないのだけど、
バスでも同じように、
スロープを用意してもらえるのだという。

バスでスロープを設置するのは、
運転手さんなのだそうだ。
一人で何でもするのは、しんどそう…
…でも、ほかに乗っていないもんなあ…

バスをよく利用するヘルパーさんが、
こんな話をしていた。

その日、
車椅子に乗った利用者さんと、
停留所でバスを待っていたヘルパーさんは、
近づいてきたバスの運転席にいる運転手さんと、
たまたま目が合った。
「ちぇっ、スロープの準備か…」
そんな表情で、
運転手さんのイライラが伝わってきたそうだ。
そんなのはごく一部の話で、
大半の運転手さんは親切と聞いているけれど、
その話を聞いて、
私はモモちゃんとバスに乗る勇気をなくしてしまった。

ヘルパーさんは続けて言った。
「でも、
モモちゃんのように、
ありがとうがちゃんと言える人だと、
親切にしたい気になると思うんです。
利用者さんのほうもいろいろで。
ありがとうを言わない人も結構います」

そのなかには
ありがとうを「言えない」人もいるのだろうし、
モモちゃんのように、
「ありがとう」は言うかもしれないが、
次に会ったときには叩く、わめく、
というバージョンだってあるため、
簡単に線引きはできないと思うけど、
それでも私は、
モモちゃんが「ありがとう」を言える人で、
よかったなと思った。

2~3年前のモモちゃんは、
「ありがとう」どころではなかった。

優しくされてもフキゲンだったし、
気に入らないことがあれば、
相手が誰であろうが、かみつくように、わめいた。
母が歩けなくなって、不安で、自暴自棄だった。

でもそれよりもっと前のモモちゃんは、
人に可愛がられる「お嬢さん」だった。

亡き母は社交的で、
「まあ、いいの? 悪いねえ、ありがとう」
「まあちょっと、寄っていきんさいや、冷たいものでも」
「本当にお世話になってしもうて、なんのお返しもできんのに」
などと、全身で感謝を表す人だった。

「お嬢さん」だったモモちゃんは
その様子を
ずっと見て育っている。

気持ちがつらいときは、アリガトウも言えないけれど、
安定さえしていたら、
母譲りの「全身で感謝」ができる。

母譲りの「ありがとう」があれば、
これからも、
いろんな人に優しくしてもらえるかも。

そしてまわりから優しくされたら、
モモちゃん自身、もっと優しくなれるかも。

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