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呪いであり宝である

年末に新津の英進堂で買い、約1週間の年末年始帰省を経て、今日読了した本、「おやときどきこども」。心に響きすぎて、何度もため息をつきながら読んでしまった。

福岡で小中高生の学習指導などの行っている鳥羽さんが綴る、親と子供たちと向き合った日々で感じたことの記録。「教育」「子育て」なんて枠ではくくれない、人と人の間に生まれるなにかそのもの、この時代に自分の人生を生きるためのなにか、大切なことが詰まった本。

何度も内省してきたが、私にとっても親という存在は複雑で矛盾だらけで屈折した感情をいだく相手であり、まだその感情の真っただ中にいる。ちょうど一年前、「かがみよかがみ」というメディアでもそのことについて書いた。

https://mirror.asahi.com/article/13172893

私は私が決めた人生を生きたい、でもそれに反対する親を嫌いにはなれない。核心に触れる会話をするのが苦しくて仕方がない。そんなことに大泣き大げんかを経て気づいた去年の正月。

そしたらその後1年、コロナでほとんど帰省ができなかった。直接話す機会は減り、1,2度電話で話して口論になったこともあった。

「年末にいろいろ話しましょう」

と母からLINEが来て、また涙涙の口論を覚悟もしながらの今回の帰省だった。

結論から言うと、今回の帰省では、大戦争は起こらなかった。両親に現状やこれからの予定を穏やかに話せただけでなく、家族5人で紙に書きながらそれぞれの話を共有することもできた。「私なりに感情的にならないためにはどうしたらいいか」を考えた上での結果でもあるので、私はほっとした。

久しぶりに帰る実家と両親の様子は、これまでと少しだけ違っていた。たぶん、今年初めて子供たち全員が家を出て、父母の2人生活になったせいもあると思う。見るからにお母さんもお父さんも、心から子供たちが帰ってくるのを楽しみにしていた。壁には整理した昔の家族写真が貼られていて、新しい布団も用意されていた。

6日間の実家滞在を経て、新潟に帰ってきた今日。いつもの家に帰ってきてシャワーも浴び、仕事は明日からにしようとちょっとだけお酒を飲みながらAmazon primeで動画を見た。何気なく選んだ、「有村架純の撮休」。その第一回が、まさに実家にちょっと帰省する娘の話で、私はなんだかそれを見ているうちに泣けてきてしまった。

久しぶりだ。脳を経由しないで、涙線に直接来てしまうこの感じ。目の前のドラマとは別の理由だった。たぶん、実家で受けた母からの言葉やふるまいを、少しの時差があって、ドラマやパートナーとの会話をスイッチに、心が受容したのだった。この涙は、いろんな感情が混ざり合ってできているからやっかいなんだ。

冒頭に話した「おやときどきこども」の中に、こんなことが書いてあった。

親というのは子どもにたびたび呪いをかける存在です。呪いの言葉を気づかずにかけて、いつのまにか親が設定した問いの中で考えることを強いられるのです。
親の価値観や美意識といったものの影響は子にとって呪いとなりますが、一方で一生の宝にもなりうるものです。呪いでない宝はないのです。

「呪いであり宝」、なんとも絶妙な言い当てだった。帰省中、話は穏やかであっても、親の言葉のそこかしこに理解されていないことが分かる言葉があるのに私は気づいていた。「もうそれは仕方ない、理解なんて無理だ。共有できるだけでいい」と言い聞かせていたけど、本当はやっぱり「理解してもらいたい自分」がいる。その「自分」は、親からの愛情でできてるもので、宝物でもあるから簡単に捨てられないんだ。

こんな風に泣いているとき、私は、過去の呪い(かつ宝)にとらわれた「私」を抱きしめている気持ちになる。私はそういう風に感じてたんだね、辛い部分もあったよね、と。そうすると呪いが完全に「解ける」ことはなくても、「呪いにとらわれる自分」を優しく見守ることはできる気がして。

ドラマを見た後、まだ少し泣きべそをかきながら「おやときどきこども」の最後を読んだら、まさにそのことが書かれていた。

かつて子どもだった時の私たちは、想像するほど「子ども」ではなく、大人になった今と同じようにさまざまなことを考えたり感じたりしていたのかもしれません。<中略>子どもだった自分が感じていたことを、もう一度感じ直してみる。そのことを通して子どもだった自分に「手当て」をする。するとようやく気づき始めます。私に不足していたものは、理解というより自分を受容することだった。

環境が変わって、大人と呼ばれる年になって、何かをきっかけに昔の自分を思い出すこと。思い出すというよりは、新たに知るような気分で、そうだったのねと「感じ直す」。自分で「手当て」をする。これが、これから子どもや人に対して接するときの優しさの土台になる気がする。
本当に素晴らしい本でした。呪いを感じている人、まだ気がついていない人にも読んでもらいたい。

明日からまた日常が始まる。帰省中、もちろん楽しかった私もいたけど、どこかで頑張って気を張っていた私もいた。今日の涙は後者の私をいたわって流れたものだったね。こんな風に、ときどき今の自分の中にいる過去の自分をいたわりながら、手当てをしながら、生きていこう。

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