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買ってきた花

明日、30歳になる。
先週末に大好きな10年来の友達たちと友人のゲストハウスで誕生日お泊り会をやってしまった私は、誕生日当日には特になんのこだわりも予定もなく、わりと仕事に追われそうな日だなあと思っている。
とはいえ30代への突入というのは、どうしても人生を想うきっかけになる。昨年までに思いきり将来を不安がった私の最近の関心事は、今は将来というよりは過去だった。とりわけ20代を振り返る。私の20代はなんだったんだろうと。

最近、10年ぶりぐらいに自分の中で価値観の転換が起きていると感じる。20歳の誕生日、私はタイの留学中で、自然や農業や持続可能な社会・・・みたいなことへの関心がむくむく高まっていた。その後21歳の秋に新潟のツルハシブックスに出会い、22歳で休学して新潟で暮らす。
それはまさに、「都会」から「地方」へ移った私の価値観がぐぐっと大きく動いた時期。「孤独」から「人とのつながり」へ、「仕事優先」から「暮らし優先」へ、「消費する」から「創造する」へ、「目的思考」から「プロセス思考」へ。10代までに私を無意識に縛っていた「優等生」的価値軸(偏差値やエリート志向)からするすると解き放たれ、まだやわらかだった私のスポンジは新しい価値観をたっぷり吸い込んだ。

かつて就職活動をまわりが始めた頃、私の耳には「自立」という言葉はとても厳しく聞こえた。経済的自立。スキルアップ。新卒きっぷ。安定収入。それらの言葉がすべて、私を責め立てている気がした。そんなこと、本当に大事なことなのか?分かりやすい実績も人に説明しやすい要素もない新潟のお米屋のプロジェクトに飛び込んだのが、私が出したひとつの答えだった。

今、私にとって「自立」は今もこれからも人生を支えるものだと思う。あれから10年近く、信じた道を走ってきて今考えているのは、あのとき捨てたもうひとつの価値観のこと。道なき道を楽しく行くのに必死で、ぽとぽとと落として来てしまった、自分には要らないと思っていたものたちのこと。
もちろん本当に要らなかったものもあるけれど、自分への悪い影響ばかり考えてしまったものたちは、今ふと振り返るとそんなに悪い側面ばかりじゃないと思う。
1日10時間勉強して挑んだ受験も、週末をつぶして時には怒鳴られながらやった運動部も、違和感があったビジネス思考も、寂しいだけだろうと思っていた1人暮らしも、欲しいものを調べてちゃんと買うという行為も。

後悔しているわけではない。もう一度同じ人生をやり直すとしても、時代と環境の流れがある中で私がする選択は同じだろうし、それでいいと思う。
ただ、これからはこっちだ!と思い込んでいた自分を振り返ってちょっと笑ってしまうだけだ。10年後にひっくり返ることがあるんだと。

最近、1人暮らしのアパートの家に好きなものをひとつひとつ買いそろえて居心地の良い空間にしている。長いつきあいのアパートだし、近所には知り合い・友達が何人も住んでいるけれど、ドア一枚で外と中が無機質に隔たれるし目の前に自然が広がっているわけでもないし、隣の家の人とは挨拶くらいしか交わさない。これまで、田舎の一軒家やシェアハウスの生活を「おすそわけをもらえる」「家具も部屋もシェアする」「自分で育てたものや関わったものを食べる」「毎日人のあたたかさがある」などと紹介して、それがわたしの理想だと自信満々に語ってきて、それは1人アパート暮らしにはないものと無意識に選択肢から外していたけれど、1人のアパートかどうかというよりも、大事なのは好きな空間に自分の力でするということ、なのかもなと思っている。

今日、花を買ってきた。ホームセンターの、小さなポットに入ったカスミ草。アパートの玄関の外に置きたいと思ったのだ。植木鉢もあるし。
「自分の力で」好きな空間をつくるとき、「自分で選ぶ」ということが大事なんじゃないかと思っている。あと「自分のお金で買う」ことも。
もちろん、誰かの育てたおすそわけも嬉しいし、自分の意思の外で何かが決まっていく予想外感も楽しい。でもそれは、基盤に「自分で選んだものたち」があった上である方がより健やかな気がしている。少なくとも今の自分にはそちらが足りないし、そちらが大事だ。花も苗もたくさん持っている知り合いからなんでももらう思考だった以前の私なら絶対しない行為だった。
自分で欲しいものを考えて、選んで、買う。おそらく多くの人が大学や就職で実家を離れた時にやっているであろうことを今さら、30歳でやっとしっかりやっている私は、進んでいるんだか遅れているんだかわからない。そんな人生も面白い。

なんでも「知り合い」を介すことは、人と強いつながりがあって良いねとも言えるけれど、少なからずその人に貸し借りをつくり、自分と切り離せなくする。好きなタイミングで好きなことをできなくするときもある。自分のお金で買えば、そこで切り離せて、あとは自分の好きなようにできる。
自分をとりまくいろいろなこと、暮らしも仕事も、私は「人とのつながり」が過剰なのかもしれない。何度も言うけれど、それはそれで今の私の快適なライフスタイルの基盤になっているし、とてもとても大事。でもだからこそ、自分でイチからつくることもちゃんとやりたい。1人で頑張ってみたい。そんなモードだ。

1人で取り組む・生きてみる健やかさをなんとも今は説明できない。説明できないけれど、私の状態がひとつの答えである。たしかに私は、アマゾンで買ったブラシも、100均でそろえた壁かけグッズも、いい匂いのシャンプーも、ホームセンターで買った花も、好きなお店で買った器たちも、毎月はがすのを楽しみにしているカレンダーも、以前よりずっとずっと丁寧に味わえているのだ。今は仕事に集中したいのもあって、買う方が早いというのもあるけれど、私が知らなかった感覚がここにあったという感じ。

相変わらず自分の変化観察が面白くて、でもずっと変わらない私の中のなにかとまわりの関係性を大切にしながら、感受性と想像力、行動力は失わずに生きていきたい。30歳、いい年にしよう。



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