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目標と目標になるひとのいる日々

9月は年度に入ってから一番忙しかった。毎日頭をフル回転させて、マラソンのような日々を乗り切った。
日照りと猛暑を乗り切った稲たちの収穫も終わり。9月下旬からは35度だった日々が嘘のような涼しい秋風が吹きはじめ、10月に入ってすぐに朝晩が肌寒くなってきた。身軽な格好で外をぶらぶらできて最高の季節なのだけど、変化が激しくて体も衣替えも追いつかない。

10月1日には、「たねをまく」という量り売りマーケットのイベントを開催し、なじみの内野町で、お世話になっている方や初めましての方々と農産物や美味しいものの交換を楽しんだ。出店者でもあり、企画チームでもあり、会場になった老舗の米屋の設営もあり、一日中ばたばたとしたけれど、とても楽しかった。私は個人的にいろんな小さなチャレンジをこのイベントに盛り込んでいたのだけど、そのどれもが良い感じで実現し、可能性がまた開けた気がした。

今回のイベントのチラシをつくるとき、企画チームだった他の2人はそれぞれお店をやっているのでその名前を記載したが私は自分のことを何と書くか迷った。稲刈りの活動は月日と、お米屋の活動は飯塚商店。それ以外にも場によって名乗り方を変えていることが多い。でも、今まではそのどれも地域性やプロジェクト的な要素があり、私が今後1人で、自らやりたいと考えて動いていくものにつけた名前は最近始めた「木舟舎」が初めてだった。
木舟舎は、私が雑誌や本をつくっていきたいと思って名付けた屋号。でも、本はあくまでツールのひとつであって、ゆくゆくは「場」や「イベント」の編集もこの屋号でやっていきたいと考えていた。しかも、農村がうみだすものと街でできることをつなげていきたいとも思っていたので、あながちこのイベントは外れていなかった。少しむずがゆい気持ちになりながら、チラシに木舟舎の名前を入れた。

そんなふうに、日々は少しずつ、少しずつ前に進んでいる。前というのがどういう方向なのかはよく分からないけれど、今の私には少し先の未来にやりたいこと、なっていたい状態が浮かんでいる。たぶんこの状態を一般的に「目標がある状態」と呼ぶのだろう。その時その時の直感で惹かれる方向に歩んできた私にとっては、珍しい状態でもある。もしかしたら、受験の時以来かもしれない。

「夢」とか「目標」という言葉に否定的な印象を持っていた。大学生に、「山登り型(ゴールを決めて逆算して今を考える)」のではなく「川下り型(流れに任せつつその時その時に良い方の道を決める)」でいいんじゃない?と言ってきた。どちらが正解というわけではない。けれど、今になって目標というものの価値をちゃんと初めて感じている気がしている。

夢や目標を決めるのが一概にいいわけではないというのは、小学生や中学生の時、全員一斉に「目標を書きなさい」と言われて自分と向き合う時間もないまま、学校の基準で高い目標にさせられる・そのことを繰り返されるというのがいけないのであって、大人になって自分のタイミングで自分ひとりで決める分にはとってもいいものだと思った。自分の特性やキャパシティ、力を入れられることや入れられないこと、みたいなものを分かった状態で自らつくる目標は、ただの数字や世間のものさしで測られない、自分だけの大切なもの。人に言われないでつくる目標が、こんなにも自分の支えになると思わなかった。

もちろん、これまで目標がなくても楽しく日々を過ごせていたことも全然否定しない。むしろ、今この瞬間を楽しむ感覚、明日なにしようとか、みんなでここに行ったら楽しい気がするから予定立てようとか、日の光が気持ちいいとか、栗ご飯つくって食べたらおいしいとか、そういう感覚の尊さを大切にした日々は私をしっかりと作っている。私の中にちゃんとある。だけど、そういう日々だけじゃやりきれない時期、自分のやりたいことに気がついてそれをやらないときっと嫌だと思っている自分に気がついたら、その目標に向かって歩むことも必要。たぶん今の私はそういう時期なんだと思う。

ちなみに、「本をつくりたい」みたいにdoの目標もあるけれど、もっと大きなものとしてbeの目標もある。それは、私の場合は「人」だった。具体的なこの人ひとり!ではなくて、複数いる。たくさんいる。私より先を進んでいて、でもこの先の道にその人たちがいると思うとなぜかほっとするし、希望が持てる。そんな人たちが新潟にも県外にも何人もいる。SNSの先や、一度会っただけの人もいる。その人たち自身になりたいというよりは、そういう人たちに囲まれる人生を送りたいのかもしれない。そういう人達と仕事をしたり、意思を継いだり、深い関係性をつくったりしたい。

その人達は、気持ちいいことが何かを知っているし、かっこいいことがなにかを知っている。そして自分にとって、社会にとって悲しいことが何かも知っている。言葉を丁寧に扱うけれど、言葉じゃ足りないこともあるということを知っている。そして目の前の人にただ優しくすることもできる。

そんな完璧な人いないよって思うかもしれないけれど、いるのだ。本当にちゃんとあちこちに。それを感じ取るアンテナは高い方かもしれない。だからきっと私は今ここにいて、こんなふうに仕事をしている。

大好きなポッドキャスト「そうだ!ゲイにカミングアウト」の太田さんも言っていた。「人生は登り坂が一番なんだから」そして「自分の欲望をなめないほうがいい」とも言っていた。
自分だけの大切な目標をもって、社会や現実と戦っている人は本の中にもテレビの中にもいらっしゃって、そういう人達の言葉は今の私にすごく深く刺さる。自分に甘い私は、毎日本当に一歩ずつしか進めないけれど、少しでも進んでいることが自信になり、日々の楽しみになり、エネルギーになる。どんなことも材料になる。意外と息苦しくはない。たまに、漠然とした不安や心配がやってくることもあるけれど、それがゼロになるなんてことはないから。

目標も、悪くないよ。それを自分で気づける日がきっとくる。

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