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履歴書風に

2014年春発行 7号 『井』-住む- より
2009年より「井」のエリアに暮らす人の声を届けてきたフリーペーパー『井』。この機会にバックナンバーの記事を一部ご紹介します。「井」に住むGENRO代表千葉皓史さんの住む履歴書。プロフィールや掲載内容の情報は執筆当時のままですのでご了承ください。

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住む人:千葉 皓史
1947 東京生まれ 早大卒 篆刻を菅原石廬に師事、俳句を石田勝彦に師事
1987 玄廬創業 2006 まちづくり上井草をはじめる 上井草商店街振興組合理事
http://genro.co.jp  http://kami-igusa.jp  http://kami-igusa.com

 子供の頃から引っ越しの多い家庭でした。練馬区内を転々とするような、近い場所への引っ越しです。所帯を持ってからの私もまた、似たような転居を繰り返しました。

 結婚して最初に住んだのは豊島区東長崎のアパートの2階。新築でしたが、日の光が射さないのを気の毒に思った大家さんが、南側の壁に横長の小さな高窓をつけてくれました。太陽も、月も、星もその高窓を通りました。

 最初の転居先となったのは隣のアパートのやはり2階。向かい合う窓廂にベニヤ板を渡して雨をしのぎ、荷物を受け渡しました。本棚、鏡台、小引出し、布団、鍋、薬缶。家財道具のすべてがその窓を通りました。幸か不幸か、テレビ、洗濯機、掃除機などの電気製品は当時の我が家にはありませんでした。何かの拍子に軒端に落としてしまった夏みかんの明るい色彩を今もはっきり記憶しています。その後、独り暮らしの母の身が気になって、富士見台に転居しました。母の家から10分ほどのアパートです。ときには家内が母のために弁当を作り、子供が届けました。実家にはテレビがあったので、子供は喜んでお使いをしました。

東京はわが産土や布団干す
裸子がわれの裸をよろこべり
引越してきし子に畑の月のぼる

底紅や黙つてあがる母の家
母もまたこのまちに住む初景色
うれしさに黙つてゐる小桐の花  『郊外』1991

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当時、未来は明るいものでした。私にとってばかりではなく、社会にとっても。ただし私に限っては、胸が高鳴るような未来が手に入りそうになった途端、なぜか引き返してしまうことのほうが多かったかもしれません。勤めを辞め、起業したGENROが軌道に乗り始めました。丘の上にあったその古アパートから、男の子二人にも家財道具をひとつずつ持たせての引っ越しをしました。坂下に建った新築アパートの方がいくらか広かったからです。間もなく長女を授かりました。

 翌々年には杉並区上井草に転居。より広い仕事場が必要になったからです。屋敷林に抱かれたマンションの1階でした。以後の度重なる引っ越しについては省略しましょう。杉並区に移り住んでからの年月の方が、すでに長くなりました。66歳というこの年齢にもなると、人生はとても具体的なものごとの集まりに見えてきます。

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