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ゲームチェンジ日本ーはじまりの物語

発起人の問題意識ーつまらないなぁー

 はじめまして。芋虫大作戦の南大樹(itsuki minami)と申します。現在私は岡山県の高梁市(たかはしし)の山間で百姓的な暮らしを営んでいます。この地域は空き家率と高齢化率がかなり高く、このままいくと20年後には消滅するであろう部落がたくさん存在しています。僕の家の周りには家が10軒ほどありますが、半分は空き家で、住んでいてもほとんどが70歳以上の方々です。

 このような地域は、日本中本当にたくさん存在します。しかし、それぞれ実はとてもいい環境を持っています。この場所は、春には桜が咲き乱れ、夏には蛍が飛び、川では鰻も鮎もとれて、秋には稲穂が輝き、冬には満点の星や幻想的な雲海を見ることができ、雪が降り積もることも無く、何より災害が少ないし、素敵な空き家もたくさんあって、近所のお付き合いもゆるやかで温かく、Amazonは次の日に届くし、郵便局や小さなスーパーは車で5分のところにあるし、コンビニもホームセンターも大きなスーパーも車で15分のところにあるし、光ファイバーでネットは速いし、野菜は有り余るほど貰えるし、近所のおばあちゃんの家庭料理は美味しすぎるし、移住者はみんな頭がおかしいし、生活の限界費用は驚くほど安いという、「ヤバい」ほど豊かな環境です。

 僕は転勤族の親元に生まれ日本以外の環境をいろいろ見ながら育ちました。はっきり言って、こんな国は「異常」です。ほっといたらどこでも食べ物が生えてくるし、水が飲める…。現代ではどこに行っても電気が使えて、綺麗な水道水が飲めて、ゴミを捨てれて、ネットが通じて、舗装された道があって、生きていける。長い歴史も物語っていますが、正直こんな場所は奇跡としか言いようがありません。

 そんな豊かな自然環境の中で育まれた各地域の文化は決して画一化されたものではなく、それぞれが奇妙で持続可能なものたちでした。

 近代化以降にあらゆるものが単一「国家」の中で画一化されていき、そのおかげで日本は大きく経済成長し、今日の生活インフラを作り上げました。

 しかしインターネットの普及以降、科学技術はさらに次のフェーズに突入しました。画一化より個別最適化、強さより柔軟性、人間の豊かさより持続可能性、あらゆるものが経済・文化・自然の中で変化しているにも関わらず、日本は近代の成功体験を引きずり、ズルズルと「失った〇〇年」を引き延ばしています。

 どんな改革を施してもこの社会のディストピア感は変わらないと僕は諦めながら生きてきました。ゼロリスク症候群の教員に「社会での心得」という名の”諦め”を教えられ、周りの人をキョロ目で気にしながら行動し、「死にたい」と手首を切る友人がたくさんいて、好きな人とだけ関わって分かりやすさを追い求め、感情を劣化させて知らぬ間に他人を殺していく人々に絶望感を抱き、死んだ魚の目をしながら満員電車でストレスを押しつぶし、目の前の人間を抱きしめることもできないくせに世界の裏側の会ったこともない人間を不幸と決めつけて金やモノを提供して満足し、自分の人生を「肯定」するために必死で損得を考え、他人に興味を持たないことで苦しさを減らしていく。

 親世代は「若者が選挙に行かないからあかん!」と説教を垂れ、意識高い系はフォロワーの多さに満足し、新しい「正義」を追い求めては誰かを論破して生きながらえる。あらゆる事象を箇条書きに並べ、世界を切り分けて分断をたくさん作りながら、「インクルージョン」とか「サステナビリティ」を叫びまくる。右を見ても左を見てもどこを見ても息苦しい世界だなぁと思いながら生きてきました。

手触り感を大切に作った「ゲームチェンジ日本」

 都会で生きてる間は「日本の良さ」みたいなものをたいして感じていませんでしたが、この田舎にやってきて、多少なりとも日本の「素敵さ」に気が付くようになりました。「衰退する地域は衰退したらいい」という思いは変わっていませんが、「なんだかもったいない」とも思うようになりました。日本のいろんな地域に埋もれている自然環境や文化が、消えていき、今のディストピアな都市環境だけが残っていくと、つまらないなぁと感じます。

 経済的な話でも、大きなプラットフォーマーを創り出すことばかり考えず、圧倒的な持続可能性を持つ自然環境に目を向け、ローカルからヤバい文化・産業を芋虫のように生み出していき、それが気が付いたら価値になって日本を支えていくような、そんな話をまじめに考えたくなっていました。

 近代的な枠組みを前提とせず、非中央集権的な日本独自の自然観及び持続可能性を前提として、高齢者も、中高年も、若者も未来の子供たちも、どんな人でも、知性による分断を失くし、それなりに「面白く」自由に、手触り感を持って生きていけるようなインフラはないものかと考え始めたのです。

 僕はそれなりにリアリストなので、現実からかけ離れた理想論にはあまり興味が無く、より民藝的に考えていくことを大切にしたいと思ってきました。実際に地方の環境に埋もれて手を動かしながら、手触り感を持って自分なりの意見を考えたかったのです。そのために都会から田舎に移住し、新聞配達をしたり、農家さんを回ってお手伝いをしたり、近所づきあいをしっかりしてみたりする中でお仕事をもらったりして、ここの環境に溶け込んでみました。

 その中で感じたことを忘れないように作ってみた自分なりの政策提言が「ゲームチェンジ日本」でした。自己満足で作っていたものでしたが、なんとビックリ成田悠輔さんが興味を持ってくださり、中身を詰めて実現可能性をちゃんと考えてみることになり、このプロジェクトが始まりました。

(↑これは初期の原案なので既に少々変化しています。)

 この政策提言は二つの改革案がセットになっています。一つは「データドリブン・ネオ民主主義の実装」で、より正確な民主主義を実装してしまおうというものです。もう一つは「デジタル地方通貨による財政改革」で、デジタル通貨で地方財源を安定的に生み出しちゃおうというものです。どちらか片方だけが実現してもディストピアだと僕は思っていますが、とりあえず二つを分けてそれぞれ中身を詰めて実現への道を検討していくことにしました。この二つで芋虫ジャパンのインフラを作れるのではないかと妄想しています。

 これからそれぞれの改革案ごとに、様々な分野で活躍されている方に仲間になってもらいながら、ゆっくり実現に向けてやれるだけのことをやってみようかと思っています。実際に実現するかは置いといて、あくまで民藝的に、自分たちが納得するところまでできればいいかなぁと思っています。

 完全にプロジェクト自体が頓挫するかもしれませんが、その過程も含めて全部オープンにやってみようと思います。

 最後に提言の最後に書いたコメントを引用しておきます。

 時代に合わせて民主主義をアップデートし、今、この世界の片隅で一生懸命に生きている一人一人のいのちが輝くように、そして未来を自分たちの手で作り出す生の営みが豊かな国になるように。中央がやらないなら地方がやればいい。中央が遅いなら地方が速くなればいい。「固定概念を壊して、今いる場所でやれることをやれば、日本は変わる」というのが今回の提言の最大のメッセージである。やらないで滅ぶより、やってみよう。



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