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虐待と一時保護について~福祉の家庭への介入を考える~


私生活で一時保護⇒家庭に戻らずグループホームに入所した成年に出会った。
そこで親からの不適切な関わり、親が福祉支援機関に「悪」と断罪されてしまう辛さ、一時保護所での自由の無い生活、学校に行けないことで結果的に同級生と違った道を歩むことになった苦しさ…
そんなことを少しずつだとは思うが聞いた。
“保護”というものが必ずしもメリットだけあるのではないことを知った。

母から虐待を受けて育った私。
父親のDV、義母のネグレクトで苦しんだ親友。
未成年だったけれど、どちらも福祉的支援に繋がることは無かった。

親友も私も中高大の一貫校へ中学受験を経て入学。
親友は、親が大学の学費を出さないと宣言したこと、そのことから上記の家庭環境が学校にも知られていた。
だから学校の先生からの家庭訪問等外部からのアプローチはあった。
(結果的に解決には繋がらず、大学入学と共に夜の仕事をしながら奨学金を借り大学に通う結果となった。)

一方私はというと、母からの虐待を親友以外に話すことは無かった。
そのせいもあってか、一切の外部からの介入は無かった。
後で聞くと、兄が荒れた家庭事情を高校の先生に話していたらしい。でも事態は動かなかった。

親友と私と二人でよくこんな話をした。
「今の時代なら間違いなく児童相談所に通報されて保護されていたやつよね」

『当時保護されていたらその後の人生でこんなに苦しまずに済んだのだろうか…でも福祉的支援が今ほど行き届かなかった社会だったのだろうし仕方が無かったと思う…』
人生がもっと上手くいかず苦しかったら…母を恨みながら自分が今も苦しみもがく人生だったら…
その時は保護されていなかったことを思いもっと苦しんでいただろうか。
何年も前に母のことは赦したし、今は関係性も良好だ。
結果的には福祉的介入が一切無くとも幸運にも親子の関係性は回復した。

その事実に今一度目を止めると、もし本当に福祉的支援の介入があって一時保護されていたら…
中高大一貫校だったことを考えると、もし一時保護をされ、結果的に親との関係性も余計に悪化し、進学に影響が出ていたらどうなっていただろう。保護されたことを肯定的に捉えることができただろうか。苦しむことになったのではないか。
私の場合は学校が少し逃げ場でもあり居場所でもあったので余計にそう思うのかもしれない。

(学歴がどうであろうと、きっとクリスチャンとして、イエス様と出会ったことを喜び生きただろうとは思うけれども。)

児童福祉にも絡む分野で仕事をする友達が「だから福祉の家庭への介入は、本当に難しい。下手したら一生親子関係が回復しないかもしれないから」
そう言っていた。なるほど…。

何が正解なのかはわからない。
ただ、いずれにせよ昔も今も虐待で苦しむ未成年がいる。福祉で完璧な助けを提供できないことを見て、自分には何ができるのか。
苦しみを負った冒頭の青年の苦しみにただ耳を傾けることしかできなかったけれど、こうやって共有しながら社会のみんなで考えていけたらいいなと思う。




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