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グリ下(グリコ下)と2ちゃんねるのオフ会

人が人と一緒に生きるって簡単じゃないと常々思う。
でも誰もが一緒に暮らせる世界であってほしいと本当に思っている。
共生と多様性の尊重。
多分私が特に重んじるのはこれ。
幼少期に自分が排除された経験も影響しているのかもしれない。

誰でも排除されて良い人はいない。
イエス・キリストは社会の中で排除されている人と共に生きられたのだ。

経済的に豊かな家系に生まれた。
幼少期に教会でマザーテレサのドキュメンタリーや聖書のお話を見聞きした。
それと自分の生きる世界にあまりにもギャップがあることが幼心に気になっていたのだと思う。
経済的に豊かな家が多い地域で、豊かな生活環境で皆暮らしていた。富の再分配は行われていなかったと思う。というか、そう。

貧富の差で生きる場所や歩む人生が大きく変わること、貧困家庭の壮絶さ。それを成人するころまで知らずに生きていた。

中学や高校でもう少し社会問題について教えて貰えてほしかったと正直思う。
自分と同世代の人の苦しみを知らないまま生きるのって違うよね。
どうして学校で教わることができなかったのかと思案したが、多分教師も多くの保護者も経済的に豊かな家系的連鎖の恩恵の中で生きてきたのが大きく影響しているのだろう。

貧困で苦しむ人を見ても、自分は豊かな暮らしをしていきたいし、子どもにも安心安全で豊かな暮らしをしてほしい。
そう思うのがやはり一般的なのだろう。私だってそうなっていた可能性はある。きっかけがあったから関心を向けるようになったけれど、きっかけが無ければ難しかったと思う。
(それでも家庭問題や諸問題で精神的には苦しい思いをしていた人は私も含めて多かったのだろうとも思う。私も周囲からは全く気付かれなかったので。)

子どもの頃よりも物質的、経済的には豊かではない暮らしをしながら、幸せが目に見える物の豊かさではないということを確信し、実感しながら生きている今が本当に幸せだ。
本当に。

本題について


大阪のグリコの看板の下が様々な大変さを抱えた若者の溜まり場になっているとニュースで見た。
そこで思い出した。とっても懐かしいものを。
巨大掲示板2ちゃんねる(現5ちゃんねる)のオフ板を。

「ひろゆき」こと西村博之氏が運営していた2ちゃんねるにはオフ板っていうのがあったのよ。今もあるかも。
で、大学1回生の夏に人生に行き詰まり、突発オフ板に参加した。
何をするところかというと、梅田のビッグマンという巨大スクリーン横でペットボトルを置いて立つ。
そうしたらオフ板を見た人が声をかけてきてくれる。全く異なるバックグラウンドの、年齢も、何もかもが違う人達。
大学やバイトや地元では絶対に出会えない人といきなり知り合えて話ができる。

出会い系っぽいし今思うと危険性(性犯罪とか違法薬物)もかなり高かっただけど。私は回避スキルが尋常じゃなく高くセーフだった。
当時の私は純粋に老若男女問わず色んな人との出会いを楽しんだ。人の数だけ色んな人生があること、色んなものを背負って生きている人が多いこと、色々学んだ。
家庭や親子関係に問題を抱えた人がすごく多くて、直接言葉には出さなくてもお互いの孤独の共有や励まし合いの要素が濃かったと思う。

長くなるので今日はこの辺でおしまい。

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