見出し画像

ヒッチハイクをして感じた違和感

ぶっちゃけ他人のものまねなんですけどね、「ヒッチハイク」なんて
それこそ一人旅も多くの前任者がいて俺がやってることは自分開拓という名のものまねなんすよ

ま、とりあえず「ヒッチハイク」してみました

以下ヒッチハイクをした感想について

結論から言うと、沢山の人に触れて非常に有意義な時間を過ごすことができました。

特に東北という土地でヒッチハイクできたことが大きかったです。

東北全体を見たわけではないので一概にこうと言うことはできません。
それでも東北の人柄、魅力、そして東北と向き合ってる生の姿を見ることができました。
東京神奈川という狭い環境でしか過ごしたことのない自分に新たな知識を与えてくれました。
そう考えると、ヒッチハイクは良いものですね。

(最後六戸町まで送ってくれた方と)

しかし、ヒッチハイクに対してどうしても拭えない懸念点が一つあります。


「車に乗せてくれた人に何もできなかったこと」

ヒッチハイクしてる時、ずっとこれが頭をよぎっていました。
一応手土産としてかりんとまんじゅうは持ち歩いていたのですが、車に乗せてもらうことと釣り合うはずもありません。
家族で移動してる車に乗っけてもらって寄る予定の無いサービスエリアで俺を下ろして、そして飲み物や食べ物も沢山くれて
俺は与えられるだけ与えられて何も与えることができてません。

この状況イーブンではないですよね。

ここでさらに出た疑問が

「俺は今まで誰かに何かで価値を与えてきたか?」です。

俺が普段から社会的価値を与えてる人間であれば、こういった与えられる環境にも納得できたかもしれないと

そう考えるようになりました。

社会的価値を与えられるに値する人間になるためには、社会的価値を与える人間になるしかありません。
社会と言うとどうしても大きな括りを想像してしまいますが、社会はあくまで人の集合体なので人1人をターゲットにしても社会的となります。
誰かにとって価値ある時間を作ってあげる、これも社会的価値を与えてるということになります。

例えば僕が今社会的価値を与えるとしたら、朝部活行って後輩を見てあげることやUber Eats。後はこうやってブログで発信することで周りが看過されるならそれもまた価値を与えていることになります。

そういった社会に価値を与えることが社会から価値を与えられるのに相応しい人間になり、加えて価値を与えることによるメリットとして自分の“したいこと”や“すること”が見つかってくる
と僕は踏んでます。

以下経験則と勝手に人間観察して出た結論を述べます。
こういった“したいこと”や“すること”は頭で考えてるだけで思いつくようなものではありません。
誰かにとって価値ある時間を作る。これをした後に初めて“したいこと”や“すること”が見つかります。
自分のヴィジョンが見えてない人はとりあえず3ヶ月を目安に試してみてください。途中でダメそうだったら潔く諦めてまた違う価値を与えることを試して下さい。そうやって続けていくことで、3ヶ月よりも長い期間一つの何かで社会に価値を与えられるようになり、長期的な自分の理念やヴィジョンへと繋がっていきます。

重要なのは、社会に価値を与えているか?という質問に対して「YES」と答えれる自分でいることです。

自分に自信を持つことは傲慢な考えへと繋がります。
けれど、自分のやってきたことに自信を持つことは非常に重要です。
自分の判断に自信を持てるまであらゆる角度で考えてテストする。この過程を社会的価値を与えることに繋げることが、社会的価値を与えられるに値すると僕は踏んでます。

以上
僕の偏見でお送りしました。
もし意見がある人は是非コメントしてください!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?