驕り高ぶる
空港を過ぎて少し走ると、真っ直ぐ北に向かう道は、次の街に入る。
整然と並ぶ街路樹の名を、自分は知らない。
さっき、大ケヤキはこちら、という看板があったから、こっちも欅並木なのかもしれない。
遅番明けで寝不足だし、少々機嫌が悪い日に長距離運転をしない方がいいのは、百も承知である。
信号の少ない直線道路だから、ちょっとだけ発散させて欲しい。
モヤモヤしたものを、抱えている。
人に嫌われるのは何とも思わないし、仕事ならば嫌いな相手だろうとなかろうと、上辺は円満に付き合うべきだと思っている。
人間関係を円滑にしたければ、己を纏うか諦めるかすれば、それで大抵上手くいく。
利己的だとか、冷血だとか、計算高いとか。
様々な言葉で、それぞれの見るこちらを表現していただいて、これまでを過ごしてきた。
そんな自分がモヤモヤする時は、自分の努力(もしくは演技)や、相手を切り捨てる諦めではなく。
誰かの気持ちを変えられない、どうしようも無いもどかしさと無力さを思い知る時だ。
全てが自分の思い通りになんて、なるわけがない。
しかし、アナタが選ぼうとしているそれはアナタ自身が辛い道ではないのか?
と。
年長者特有の驕りを発動する時が、数年に一度くらい、訪れるのだ。
そうしたいのだ、と言う相手に。
止めておけ。
と言うのはとても簡単で、
そして非常に難しい。
たかだか50年の当方の人生経験が。
その半分の誰かの人生より、驕り高ぶる権利があるものなのか。
制限速度ギリギリ(というコトにしておく)にアクセルを踏みながら、
このままずっと北まで走ったら、すっきり答えが出る。
とでもいうような。
願いとも妄想ともつかぬナニかに押されて、出勤前の貴重な睡眠時間を、ガソリンの売上貢献に捧げている。
☆ヘッダー写真、お借りしました。いつもありがとうございます。
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