ドラマならプロローグだろう他クラスのギャルに突然「ハゲ!」と呼ばれて 👱🏽♀️
今日のうたの日で出詠した一首についてちょっと話してみようと思います。
ドラマならプロローグだろう他クラスのギャルに突然「ハゲ!」と呼ばれて
他クラスではなかったけど、これは本当の話なんです、中学生の時の話。
わたしは昔から平均値をとって生きてきた人間で、身長も平均だし、クラスでの立ち位置もそんな感じ。
わたしは吹奏楽部に入っていて、自分自身はどちらかというと大人しいタイプだったけど、大人しい真面目な子ともキラキラ系の運動部女子とも普通に仲が良かった。
普段は同じような「平均値」のグループにいて、でも稀に系統の違う友達が突然できることがあって、このギャルもそうだった気がします。
うちの学校は荒れてた訳じゃなかったから、ギャルとはいっても、って感じの子ではあったけど、話し方とか笑い方とか、私服の雰囲気とか、男子との距離感とか、スクバについてるキーホルダーの大っきさとか、話題のアダルトさとか、わたしとは全然違っていて、「あぁ、この子はわたしとは根っこから違う人なんだろうな」ってなんとなく思ってました。
彼女とは同じクラスで名簿の並び順も近かったから、当たり障りのない会話や班活動なんかはしていたけど、「友達というよりはクラスメイト」って感じの距離感でした。
それがある日突然、「ハゲ!」です。
きっかけや前後の会話がどうしても思い出せなくて残念なんですが、とにかくびっくりしたのは覚えています。(それはそう)
いやだって、そもそもわたしハゲてないし、なんなら(ギャル)ちゃんの方が毛量少ないし、今まで微妙な距離感でやってきたのに、なんで突然?
まず誤解のないように言っておくと、いじめられた訳ではないし、言われた瞬間も全然悪意は感じなかったです。
仲良い人同士でふざけてるときのノリと気安さで突然、「ハゲ!」って。
そこで何故か言ってしまったんですね、
「いやいや、(ギャル)ちゃんの方が髪薄いで、そっちこそ波平さんやん」って。
本当に今考えると「お前何言ってんだ!?殺られるぞ!??」って感じなんですけど、もうほぼ反射でポーンと言ってしまったんですよね。
そしたらシバかれることもなく、「誰が波平や!笑」って笑われて、不思議なことに彼女と仲良くなり始めました。
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思春期の教室って、目に見えない緩衝材がいっぱいあって、それは接する相手によって分厚くなったり薄くなったりしていたように思います。
同じクラスだけど全然喋らない同士とか、学校にいるときは話すけど休日に遊びには行かない同士とか、あるいは、いつも一緒なわけではないのに二人の間に緩衝材は一切なく通じ合っているのがわかる同士とか。
わたしと彼女の間にそれまで存在していた見えない緩衝材が、あの「ハゲ!」の瞬間に消えていく感じがしたのをはっきりと覚えています。
何が彼女をそうさせたのか、今でもわからないけど、彼女は緩衝材を取り払い、あるいは境界線を踏み越えてわたしに働きかけてきて、わたしはそれに応えました。
それから、話すことが増え、修学旅行に着ていく服を一緒に買いに行ったりもしました。
当然のように服の趣味も全然違っていて、初めて見るブランドに入ってみたり、これが似合うんじゃない?と選びあってみたり、試着してみたら全然似合わなくて笑ったり。
あの時、「なんだ、タイプが違うからって、付き合っていけないわけじゃないんだな」と、ストンと胸に落ちる思いがしました。
わたしは小学生のとき中学に上がるのをとても恐れていて、それは隣の小学校がわたしの小学校より荒れていてひどいイジメもあるらしい、と聞いていたからだったけど、いざ中学に入ると全然知らないままイジメの裏ボスだった子と仲良くなったりしたこともありました(後から知ってめちゃくちゃ驚きました、すごいフワフワしてて優しい子だったから)
思っていた通り、中学には色んなタイプの人がいて、予想通り怖いところもあったけど、でも違うタイプの人とも意外とやっていけるんだな、と気づきました。
この気づきを得たのが、中学の一番の学びだったんじゃないかな。
高校、大学と進学するにつれて周囲にいる人は性格も趣味も学力もどんどん自分に近いタイプが多くなっていって、確実に生きやすくなっていったと思います。
今の環境は本当に居心地がいいし、目指してきた場所でもあるし、この場所でこの人たちと知り合えたことが大学までの学生生活の一つのゴールで成果なんだと思う。
でも時折無性にあの中学の「ごった煮」感が懐かしくなります。
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この間自分の部屋を整理していたら、ギャルの友達からもらったお守りが出てきました。
わたしより早く受験が終わっていた彼女は黄色いフェルトのお守りを手作りしてくれて、わたしはそれを筆箱につけて高校受験に臨みました。
受験前夜わたしはそのお守りのお礼のメールを送りつつ、鉄腕ダッシュを観ていて、黄金のニラを作る農家さんの話を聞いていました。
なんでこんな些細なこと覚えてるんだろうって思うけど、不思議にくっきりと覚えています。そして多分一生忘れないんだと思う。
彼女とは今はもう連絡もとっていないし、これからもきっと会うことはないんじゃないかな。
でもなんとなくわたしの思い出の中に彼女は揺蕩っていて、たまーに夢に出てきたりします。
谷川俊太郎さんの言葉に、
「人はたったひとつの自分の一生を生きることしか出来なくて、あといくつかの他人の人生をひっかいたくらいで終わる。
でもそのひっかきかたに自分の一生がかかっているのだ。」
というのがありますが、まさにその通りだなと思います。
わたしはこれからも黄色いフェルトのお守りを見るたびに彼女を思い出すし、いいひっかき傷だったな、と懐かしくなると思います。
そんな風に、今はもう関わりがないけど、なんとなくわたしを支えてくれる人や思い出が沢山あって、わたしの心を守ってくれる。
もうすぐわたしは社会の荒波に飛び込み、「ごった煮」の世界に戻ろうとしているけれど、多分またなんとかやっていけるんじゃないかな。
自分とは違うタイプの人に出会って、また尻込みしそうになったら、あのギャルを脳内に召喚しようと思います。
もちろん本当に合わない人もたくさんいるだろうから、その時は全力ダッシュで逃げるけど💨
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