見出し画像

「しっかりしてる」系の我が子からの考察

先日、生後半年の赤ちゃんを抱える友人とおおよそこんな話になった。

練習し始めの雑な図解でどうぞ〜。

①赤ちゃんには育てにくさレベルが広く明確に定められてるとして

②あなたの赤ちゃんはレベル××で大変すぎるので他のbabyと交換しましょう、チェンジ!のシステムがない限り

③今の育児の大変さを人と比較するのって無意味じゃない?

おおよそこんな感じ。ただし比較した結果「うちの子やっぱり大変すぎるのかもしれない」ということが気づきとなって、必要なサポートを受ける決断ができる可能性はあるのかもしれない。でも大変さはどうあれ赤ちゃんと向き合う生活になった以上、取り替えのきかない目の前のこの子と向き合うしかないという事実は変えようがない。

ちなみに何気ない会話の中でこんな話題になったのは、我が家の息子(4月から小学生)も友人の子も生まれて以来、ずーっとすこぶる「育てやすい子」のようだよね……という話から。育てやすいからいいよね!と何度言われたことか……。


赤ちゃんはのかわいさは赤ちゃん「らしさ」の度合い?

しっかり系の息子(もうすぐ小学生)の赤ちゃん期。赤ちゃん連れて歩いてると、いろんな機会に人に話しかける。そして気付いた、私の赤ちゃんなんでか「かわいいね〜」とは言われない。なんでか「しっかりしてるね〜」と言われる。病院に連れて行っても、親戚の集まりでも「しっかりしてるね〜」。何でだ。可愛くないのかなぁ?しっかりしてるって何?(怒)と当時はそれなりに悩んだ(笑)。こんなにかわいいのに!!←これは親バカってやつだけど、お世辞でもかわいいって言えばいいのに!と何度も思ったのは事実。しっかりしてるって何?と怒れば怒るほど、我が子が「しっかりして」見えてきて複雑な感情に苛まれる。なんでだ?このしっかり感は老け顔のせいか?

2年後、娘が生まれてやっぱり息子のときはなんだか変だったぞと気づく。赤ちゃんの娘を連れて歩いているとやっぱり声をかけられる機会が多くて、「かわいいね〜」と言われる。そう、私も思ってしまいました、息子と比べて娘の方が「かわいい」気がした!これは、容姿がかわいいとか愛情深いとは違った意味のかわいさで、なんだろう……きっと大人が求める「赤ちゃんらしさ」の度合いかも……と2年越しに気付いた経験だった。愛嬌とか、表情とか、ぐずり方とか。

つくづく我が家の息子はそういう「らしさ」が皆無の超「育てやすい子」だったと思う。

ママ友は「大変さの共感」で繋がっていく(…とかつては思っていた)

生後2ヶ月の予防接種。その夜9時ごろ授乳した後、この赤子は混々と眠り続けた。心配になって私は夜中に複数回起きて起こそうとした。が、起きない。これはきっと注射の副作用だ……と心配もよそに、朝スッキリと目覚める。え?と思ったものの、元気そうだからいいか……。

以降、朝まで眠るようになる。そう、第一子の息子に関しては夜寝不足で……という経験を予防接種の前までの丸2ヶ月しかしていない。なんか拍子抜けした。聞いてたのと違う。離乳食も与えたモノを片っ端からなんでもきれいに食べる、まる1歳で入園するまでにあっさり卒乳。オムツも「今日からオムツやめとく」と言われそのまま2歳までにあっさり卒業。トイレトレーニングって何?

結果、ママの集い的な場所での子育て大変トークについていけなくなった。大変だと思っていたけれど、私のは大変のレベルに入らないんだな……というわけのわからない比較をしてなんだか孤独だった。そして育休後の仕事復帰のことだけを考えてそういう集いとは距離を置きひとりで過ごすことに。

ちなみに2歳下の娘はちゃんと「らしく」夜泣きもして、トイレトレーニングもちゃんと必要で、今もその年齢「らしさ」を感じる。共感できるような子育てトークは娘の方が困らなかった(笑)。かわいい!が自然に出ちゃうのはそのわかりやすい大変さのせいなのだろうか……。

2人の我が子を比べてみてひとつだけ確かなのは、生まれながらの個体差があるってことで、同じ親が同じように接しても子はどうなるかわからないってこと。

「育てやすい子だね〜」は励ましにはならなかった

ラクだった〜ラッキー⭐︎と思えばそれまでなのだけど、今目の前にしているのは相対的に評価された中の「その子」ではなくて、取り替え不可の「我が子」なんだよな……というのがいつも今でも引っ掛かかる。相対的にラクだとしてもそれは自分にとっては何の励ましにもならなかった。逆に「しっかりしている」ことで拒絶される感覚を味わっていた。総じていうならば、どんな子でも子育てはそれなりにすごく大変。おむつを替えて、ミルク飲ませて、あやして……というのは頻度の差はあれやってくるし、自分の今後のキャリアとか考えると絶望するし、自分の時間は削られまくるし、「(相対的にみて)ラクだね」という言葉は励ましにもならないし何も救ってくれない。でもね、なんで比べちゃうんだろうね、それだけやっぱり子育てって必死なのかもな……。不思議なことにそんなことも過ぎ去って終えばささいなこと!と思えてしまうのもまた事実。ただし、「育てやすい子だね」は決して言わないように心に決めていることもまた事実なのだなぁ。そんな言葉をかけるくらいならば子育てを具体的な手段で行動で手伝ってほしい!!!!と不特定多数の世の中に対して言ってしまいたい!!!!

子育ての悩みにも「多様性」が大事かも


子どもの成長は早くて、あっという間にもうすぐ7年。大きくなるって素晴らしいと思うのは、年齢が開くに連れて「らしさ」が多様化するということも一理ある。悩みも個人個人で違ってくる。それぞれが大変ってことは何ひとつ変わりないのだけど、うちの子はうちの子で悩めばいいや!と開き直ることができるようになってきた。共感は欲しい、でも人は人、自分は自分。みんな違っているけれど、「子育てを頑張っている」という事実は同じ。根っこの部分が同じだから、その他が違っていても共感はできるのかもしれない。←と、赤子を育てていた頃の私に伝えてあげたいけど、当時はこんな言葉も届かないほど必死だったんだろうなぁ。

相変わらず「しっかりしている」と言われがちな息子は、しっかりしていない部分を出すのが苦手で時々やらかしてしまう。「できない」「助けて」「困ってる」「わかんない」「間違っちゃった」を素直に言おう、隠さない誤魔化さないことが課題。←たまには子ども「らしく」しろや!って怒鳴りたくなるけれど、そこをグッと堪えて、小さなヒトとして今日も向き合ってみる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?