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いじめ加害者に懲戒制度

社会情勢が不安定で、コロナによって人との直接の接触機会が減ったりして、ともすれば病みかねない日常に翻弄されて、NOTEからも遠ざかっていました。エディタが変わっとる…。

※注意※
この先、自死/いじめに関連する内容を記します。
苦手な方、苦しくなる方は、回れ右でお願いします。

【いじめ加害者に新懲戒制度】っていうネットニュースに引っかかってしまった。

新成人として、振袖や袴、スーツ姿で小さな講堂のステージ上にぎゅうぎゅうと並べられた私達。
もっと真ん中に寄るように、カメラマンからの指示。

「今日、誕生日でしょ、おめでとう」と、肩越しに囁いたのは、つい5,6年前には同じ口で私に対して「死ね」「飛び降りろ」「きもい」「うざい」と言っていた子だった。

私は「ありがとう」と答えたけれど、口は乾いて、上手く言葉になったかどうか怪しかった。
両親が喜ぶから。
両親を悲しませたくはないから。
ただ、それだけの理由で、母の選んだ振袖を着てのこのこやって来た私に、まさか話しかける人が居るとは、思ってもいなかった。

中学時代、私は空気だったし、移動教室も昼食も休み時間も独りだったし、なんなら月20日無断欠席していた時期もあったその私が、誰かの目に留まることなど、あるワケがない。
まして、今日が私の20歳の誕生日だと知る人が居るなんて思ってもいない。
しかもそれが、まさか、アナタだとは。

「はい、撮りますー」
カメラマンの声、シャッター音に紛れて、先ほど私に誕生日の祝いを述べた子の隣にいた子が、私にしか聞こえないぐらいの声で「ごめんね」と言った。

驚いて振り返ると、真剣な眼差しで私を見つめていた。
え?と思いながらも「あぁ、うん…」と軽く頷いた瞬間、謝ったその子の空気がフワッと軽くなり「良かった」と微笑まれた。

なるほど。
あの数年間、加害者に加担していたことを今、謝り、赦されたのか。

首を吊った子。
電車に飛び込んだ子。
屋上から飛び降りた子。
たくさん薬を飲んだ子。
水の中に飛び込んだ子。
雪の積もる公園で座り込んだ子。

あの子達と、私の差はなんだろう。
もちろん私よりも苦しい境遇にあって、逃げ道も、救いもなかったのかもしれない。
生きているから偉いわけでも、自死を選んだから弱いわけでもない。

私は、ただのサバイバーだ。
死に損ない、生き残り、生存者。
ODもリスカも出来なかった、ただのビビり。
死ねないから、仕方なく摂食と排泄と睡眠を繰り返した結果、怠惰な大人になっただけ。

加害者は5年ぶりの再会で「誕生日おめでとう」なんて言えるぐらい、罪の意識はないし、加害者に加担していて良心の呵責を感じていた子だって、皆に隠れて「ごめんね」の一言を伝えて赦されたと思っている。

彼女たちと、私とには、多分大きな意識の隔たりがある。

多分、いじめと無縁で生きてきた人たちと、私との間にも、また大きな気持ちのずれがある。

いじめ加害者に「分離措置」ですって?学校への立ち入りを禁じる?
それ、なんの意味あるの?
それで救われる子、いるのかな。
「明日から、主犯の子は学校に来れないから、安心して登校しておいで」って言うの?本気でそれで解決すると思っているのかな…。

「こどものしたこと」で何でも赦す風潮やめたらいいのに。
悪気や悪意がなくいじめる奴なんて居ないのよ。もし居たらサイコパスだと思わない?
「くさいからあそばない」なんて言って「悪気なかったんです、ごめんなさい」って赦されるのは未就学児までじゃない?
思春期のイライラに寛容なの?じゃぁ更年期のイライラにも寛容ならいいのにね。どちらも誰もが通る道なのに、おかしくない?

大人社会では犯罪にあたる「恐喝」「脅迫」「強要」「器物損壊」「名誉棄損」「侮辱」「傷害」「暴行」「監禁」「盗品等に関する罪」「自殺教唆」のオンパレード。
加害者が低年齢というだけで、これらはハラスメントにさえもならないのですか?

そして、何よりコワイのは、そういうことをしてきて、赦されてきた(放置されてきた)子が、大人になって何食わぬ顔で社会に出ていること。

ただの怠惰なオバチャンが偉そうなことを申したけれど。
生存者として言えることは。
あの時、死ななくて良かったと思っている。
世界は「学校だけ」じゃない。
永遠に続くように思われる3年間も6年間も9年間も、永遠でも、一生でもなかった。失った時間は戻らないけれど。

でも何より、あの時、自死を選ばなかったから、今、娘達に会えた。

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