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不登校を経て残ったもの。

ナシは小学2年から中学2年まで、計8年間不登校でした。
良かったこと、悪かったこと、私のコンクリートに残されているたくさんの大人の足跡を子供目線で晒していきたいと思います。
親との対話を経てあの時何を考えていたのかは聞いていますが、今回はあくまでも当時のナシの感覚というところにこだわりたいと思います。

不登校をしている本人と、もしくは大人と、話すきっかけになれば嬉しいです。


そもそも不登校のきっかけは?

分かりません。
当時もこう言っていましたし、大人になった今も全く説明が出来ません。
学級崩壊が起こりいじめが横行していたクラスであったのは覚えています。真面目なナシは、そのどちらにも疲弊していましたし、めんどくさいなあと思っていたのも覚えています。きっかけかと言われれば、う〜ん、そうかも?多分?くらいの感覚です。
勉強は、塾や進研ゼミなどで先取りをしていましたので特につまづいているといったことでもありませんでしたが、先取りをしているからこそ、授業はずっとつまらなかったです。集団での勉強は出来ない子に合わせて進んでいくので、出来ている子に待っている時間が出来てしまうのはしょうがない話ですが、上手に受け取れていなかったですね。
なんでわざわざ毎日早起きしてすでに知ってることしなきゃいけないの?という気持ちもあったような気がします。mbtiのNT型は"当たり前"に疑問を持つ性格のようなので、実は本当に理由は無かったのかもしれません。真相は闇の中。

周りの反応はどうだった?

ナシが不登校をし始めた当初はまだスマホも普及する前。世間的に「不登校」という現象があまり広く知られておらず、風当たりは相当強いものでした。相当。
実力行使上等、とりあえず学校に連れて行けば問題は解決する、といった具合でナシの気持ちに寄り添う意思は全く感じませんでした。

学校に行かないで何をしていたの?

ナシの気持ちを無視した大人たちに振り回されていたので、低学年の頃は精神的な消耗が激しく基本布団から出れない生活をしていました。たまーーに親の気まぐれでお出かけするくらい。小学3年4年は特に希死念慮がひどく毎日布団の中で1人泣いていました。起こしに来た親を威嚇し、大声で発狂していました。かわいそうな子供です。

高学年に入ると体も大きくなって大人の実力行使が減ったので、たまに布団から出られるようになりました。布団から出たら、本を読んで暇を潰していました。ハリーポッターシリーズ全巻を一晩で読み切ったこともありました。何度思い出しても面白い。一冊何ページだよ、あれ。
現実逃避に、色々なフィクションの世界へのめり込みました。
ついでに視力が悪くなりました。

中学に入ってからは、自由気ままに過ごしていたと思います。この時期に海外文化や英語にハマりました。ナシの世代では超有名なイギリスのティーン映画を字幕なしでも内容分かるまで繰り返し観てみたり、洋楽をあさってみたり、洋書に手を出してみたり。
「そろそろ学校行けば(笑)」という周りの目線が気にならないようにひたすら夢中になっていたと思います。

鮮烈な記憶

不登校になると、毎朝担任が家まで来るようになりました。担任の目的は、どうにかしてナシを学校に連れていくこと。周りの大人は学校に行けば問題は解決すると思っていました。毎日壮絶な戦いでした。ナシを抱き上げ無理やり外に連れて行こうとする担任と、玄関の柱にしがみついて泣き喚くナシ。学校に行くぞと説得を試みる担任と、黙り込むナシ。親は学校に行ってほしいので、担任が何をしてもただ見ているだけでした。
しかしナシがどうしても布団から出ないとゴネれば、担任は寝室までは来ないので会わずに済みました。段々と起床時間が遅くなりました。医者には起立性調節障害と言われましたが、ただただ担任と会いたくないだけでした。
そんな戦いの中で、男性担任の目の前でパジャマから私服へ着替えさせられたことがあります。小学生の頃の記憶はあまり鮮明じゃないものが多いのですが、これだけは信じられないほど鮮明に覚えています。
担任といえど、仲良くも無い全然知らない毎日押しかけてくる大人の男の人。
トイレで着替えたい!と反抗しましたが、トイレに籠城するつもりだと勘違いされ、結局玄関でナシは着替えさせられました。
(トラウマになっていることは分かりますが、深層心理にどういう働きをしているのかは無意識化の話なので、自分ではわかりませんね、。何かあるのでしょうか)

自信喪失

前述の通り、周りの大人はナシを学校にとりあえず連れて行けば問題は解決すると思っていました。学校に行くことが当たり前すぎて、大人たちには行かないという選択肢が本当に無かったんだと思います。行かないという選択肢がないから、行けないという言葉が全く伝わらなかった。不条理です。
家にいてもどこにいても、ナシは学校に行かない人という認識をされ、学校に行けない普通じゃないやつ、という評価を受けていました。
普通ができない、出来損ないの子。
小学校低学年で刷り込まれたこの自己評価は、その後どれだけ周りの対応が変わろうと変わりませんでした。

やはり当時皆が出来ていたことが出来ていなかった、ということは、平均から逸脱した何かがあるのは事実なのだと思います。しかし、今でも普通という言葉に執着を持っているのはこの刷り込みが原因だと言えます。
普通だったらこんなに辛い思いしなくて良かったのかな、普通じゃないからこうなんだ、という結論に至りがちです。

小学校低学年に刷り込まれた感覚がもう一つあります。
それが、自分の意見を受け止めてくれる味方がいないこと。
前述したように、親は味方ではありませんでした。
ナシがどれだけ泣き喚こうが、嫌だと口にしようが、学校に行くことだけが優先され、どうしたら学校に行けるかを考える親でした。おそらく、最初は学校が嫌で始まった不登校も、段々と親へのストレスで消耗され、学校どころか外に出るのが難しくなっていたのだと思います。
幼少期なんて学校と家しか居場所の選択肢無いのに、不登校ですでに学校が削られている上、家にも居場所は無かったので当たり前と言えば当たり前ですね^^。
本当に、心底、親が嫌いでした。(今は上手く向き合っています^^)
この経験から、ナシは自分の本音を伝えたところでどうせ受け入れてくれない、という気持ちがとても強くあります。だからこそ、自分自身が否定されないように自分の気持ちとは関係なく客観的で論理的に話すのが好きなのかもしれません。
幼いナシは今と同じくらいの思考量をしていましたが、何を考えているのかは誰にも言えませんでした。段々と周りの大人の対応も実力行使から緩やかなものに変わりましたが、すでに刷り込まれた感覚の上ではやはり何も言えず、親を辟易させていたことを覚えています。本当に、本音が出てくるまえに涙が出るんですよね。自分でもよくわからないのです。
ただ、学校に行かないことを主張出来たように、こうしたいという自分の意志だけは主張が出来ました。
やりたいことは言うけど、理由は言わない、よく分からない子の完成です。
ナシをこうしたのは明らかに親なのですが、やりたいことは基本やらせてもらっていた記憶があるので、まあなんか、よくやらせてくれたな、ほんと。
そして、親は心底嫌いでしたが、やはり無条件の愛というものを持ち合わせていました。当時は無意識でしたが、どうにかして褒めてもらいたいし、親の理想に近づいて自慢に思ってもらいたいので、親の顔色をとても伺い、親の許可を求めるようになりました。

こういった経験から、ナシは普通になりたがり、周りに頼るのがとても苦手になり、親の自慢になるような1人でなんでも出来る良い子ちゃんを演じるようになりました。

学校って行かないといけないの?

"学校に行っていなかったこと"自体が今の人生に影響しているかと言われれば、私の場合違うと思います。
塾に行かずに名の通った大学に現役合格出来るくらいには勉強に困ってないですし、不登校という期間が無かった同い年や年上に知識で優っていることも多々あります。礼儀やマナーなんかも実体験は伴っていませんでしたが、本の中での知識として持っていました。
集団生活は確かに慣れていないし得意でない分野ですが、これは元来のナシの性格なんだと思います。協調性は兼ね備えているので、問題はないと思っています。

じゃあ何が影響しているかと言われると、ご覧の通り、"学校に行かなかったせいで起こったこと"が大きく人生に影響しました。2次被害、というやつです。
確かに、学校に行っていたら学べるであろう人間関係の形成など、周りと比べれば稚拙なものもあると思います。実際成長してから苦労したものでもあります。しかし、人間関係は高校大学でも学べましたし、社会に出てからも悩むものであり、あまり問題だとは捉えていません。人間の悩み事のほとんどが人間関係なんていうのもよくある話です。
一方、人格形成は名の通り人格を形成しているので、人生の土台となる部分です。愛をまっすぐに受け取ってきた子と捻くれて育ったナシとでは、やはり違うものがあると感じます。友人らと話しているとふとした時にそこの差が匂います。彼らの方が、なんというか、素直ですよね。物事に対して。


今ではフリースクールなど学校以外に居場所を作る選択肢が増えましたが、だからと行って学校を避けるハードルを低くして良いものではないと思います。
勉強が嫌、先生が嫌、めんどくさい、などの理由は、その時学校に行かなくなっても、大人になって同じような状況が降ってきます。通勤は嫌だし、上司は嫌、仕事をするにも新しいことを日々勉強していかなければいけません。こういったことは、自分の気持ちの持ちようの話なので、自分の気持ちや受け取り方、考え方を変えてあげれば、解決が出来ます。ただ逃げるだけでは問題解決にはなりません。
義務教育の範囲の勉強は、生きていく上で必要なものだと思いますし、いくら貧困でも例え億万長者でも、勉強が出来たほうが持てる選択肢が広がるのは事実です。簡単に学校に行かないと選択するのは良くないと思います。
しかし、学校において自分の尊厳が確保されないのであれば話は別です。自分に対して尊敬の気持ちを向けてくれる人がいない環境は、いるだけ毒だと思います。人の気持ちは変えることが出来ませんので、自分の力で問題解決が見込めないのであれば、それは逃げる他ないと思うんです。

じゃあ結局、学校って行った方が良いの?行かなくて良いの?

大層なことを語ってなお言うのですが、別に、学校って行っても行かなくてもどっちでも良いと思います。
ただ、親の保護下にいる年齢はまだ知らないことが沢山あります。親が知っている選択肢やその選択肢の選び方、自分の気持ちなどなどを知り、その年齢なりに考えた上で出した結論なら受け入れてしかるべき結論だと思います。選択肢の決定権はあくまでも本人にあり、親が決めれるものではありません。
学校で学べることは確かに沢山ありますが、その学校でしか学べないことと言えば、そこにいるクラスメイトとの友人関係くらいだと思います。
不登校だったナシでも学校で学べることは確かに大事なことが多いと思いますが、学校に行かないことはその学びを放棄していることと同義ではないと思います。
形大きさ全く同じは難しいですが、同じようなことを学ぶ場所の選択肢は、沢山あると思います。男坂と女坂のような、斜面か階段かくらいの違いなのではないでしょうか。かかる時間も違うし、道中の辛さも種類が違うけど、着く場所は一緒。どちらを選ぶかは人によるし、好みによると思います。
もしその学びを、斜面か階段か選ぶことを放棄しようとしているのなら、そのうち困るよ、と伝えたいところですが、子供のうちはそんな将来の話されても伝わらないですよね。難しい。

ナシが不登校で良かったところ

多分、これでナシが学校に行かなかったことですごく苦労しているのなら、今すぐにでも学校に行け!!!!!と言ったのでしょう。どっちでもいいと言うのには理由があります。
ナシは齢7歳で普通のレールから外れているので、どこを歩いても良かったのです。普通以外全てが、ナシの歩けるスペースでした。とても自由だったと思います。ナシが何か突飛なことを始めても「まあ、ナシちゃんだからね」で済んでいました。ナシにはこれが合っていたのだと思います。ナシと同じくこっちの方が合っている人は確実にいると思います。
ナシは学校に行かず世間のレールに乗らないことで、全てを自分で切り開いていく必要がありました。自分で取捨選択をするので、主体性が育ちました。自分の行き先を決める決断力を持ちました。行き詰まっても失敗しても戻れる安全な場所はありません。思考力が付き、問題解決能力を身につけました。「まあナシちゃん学校行ってないから」と言われるのが嫌で努力を覚えました。当たり前に囚われることなく、さまざまなことに挑戦が出来ました。
また、毎日が不安定な子供でしたので、当時は気付いていませんでしたが、沢山の人の見守りを受けていました。味方される、などといったことが当たり前でなかったので、些細なことに喜んでしまいます。
これら全てがナシの自信になり、今現在のナシを形成している大きな部分であると思います。不登校でなかったら、こんな生き方してないだろうしここまでサバイバル能力が高くなかったと思います。

不登校の産物

不登校がどうなるか、なんて結局のところ本人が成長してみないとわかりません。不登校で良かったか悪かったかも、不登校のその後の人生で左右されます。結果論でしかないのです。
ナシは学校に行っていなかったこの人生も面白いものだなと捉えています。当時はただひたすらに毎日を生きていただけですが、当時のナシにとっての最良を選択し続けていました。過去は変えられませんので当時の選択に後悔はありません。

不登校という経験の上に、今のナシは成り立っています。つまりはナシという存在が不登校の産物というわけですね。
人生100年時代と言われる中、ナシの人生はおおよそ80年ほど残っているらしいので、これから自分がどうなっていくのか、楽しみなところです。

とまあ長々とナシの不登校について語りましたがいかがでしたでしょうか。
マルチバースの世界が本当にあるのなら、不登校を経ていない世界線のナシと話をしてみたいですね。何が違うのか結構気になる。
この記事を書くのに一週間ほど費やしましたが、やはり当時を思い出すのは中々のストレスなようで、不眠に悪夢、食欲減退などなどひどいものでした。文として書き起こして冷静に捉えてみたいと思って書き始めましたが、これで満足しようと思います。
追記しておきますが、今の親とは良好な関係を保っていますし、感謝していますので、お気遣いなく。
不登校に直面している保護者の方々はくれぐれもお子さんの味方になることだけは忘れないように。

ではまた。

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