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マインド・ザ・ギャップ 5

それまでこの国では古くからの慣例として男性に妻の数の上限がなかった。つまり一夫多妻制だ。

 イギリス統治下ではもちろん禁止されていたが、実際には続いていた。書類上で結婚しなければいい。経済的に扶養が可能なのであれば何人妻を持ってもよい。そんな感じだったらしい。そうするとどうなるか?

簡単だ、結婚できない貧しく若い男性が山のように出来上がる。

 金は金持ちのところに流れる。この国の縮図が至るところに転がっているというわけだ。もちろんあまりいい状況とは言えない。結婚しないんじゃない、したくてもできないんだから。

 そこでニコラス大統領が考えたのが「自分が行動で示す」というものだ。後になって分かったことだが、父さんが夏季休暇の半分以上を費やして取り組んでいたのが今後の一夫多妻制をより一層厳密に禁止にするための法案作りだった(就任直後からずっと練っていた法案らしい)。

 今回の2人結婚はその象徴としての役割を担う一大イベントだったということだ。ある意味での政略結婚だ。夏季休暇も終わりに近づいた頃に2人は書面上で正式な夫婦になった。本来なら結婚式をして盛大に祝うところだが、親族や関係者を呼ぶととんでもない数になり大惨事が起こるのが目に見えていたため、あえてやらなかった

 議会が開会すると意外なことが起こった。当初の父さんの予想は「もちろん反対する議員たちはいるだろう。だが保守派は論調を覆せるほどの議席と発言力や論拠を持っていない。審議を通過するのにそこまでの時間はかからないだろうね」というものだった。だが実際に審議が始まると、保守派の言論に同調する議員が多数出てきた。コネクションを駆使した後々のポストの確約と金による買収だ。父さんは議会に提出するまで法案のことは直近の者としか共有していなかったはずだったが、どこからか情報が漏れていたのだ。彼らは法案の存在を知り、事前に策を講じていた。

 法案の可決に反対する議員は保守派に寝返った議員を含めると全議席の4割強、反対派が攻める論調で、危険な局面だ。議論は一進一退を繰り返し、なかなか進まなかった。そこでもう一押し。父さんはプランBを持っていたのだ。議会が停滞している中、ある日の新聞に一面広告が入った。広告主は父さんだ。そこには黒地に白い太文字で大きく

結婚したくはありませんか?


と書かれていた。いわゆる意見広告だ。父さんはジョンとヨーコのやり方に倣ったのだ。大文字の下には法案の簡単な趣旨と反対派の議員のリストがあった。その日の朝から反対派議員の電話は鳴り止まなくなった。父さんは結婚したくてもできない方の男性たちを味方に引き入れたのだ。これは保守派も予想できなかっただろう。オセロのように寝返った議員たちが再度寝返り、賛成派は全議席の7割まで持ち直した。後は一方的だった。反対派の論拠をひとつずつ崩していき、自壊させる。そうしてついに法案は賛成多数で可決され、一夫多妻制は事実上禁止となった。父さんはゲームに勝ったのだ。法案が可決された日の夜は3人でレストランに行ってささやかなお祝いをした。僕はその晩生まれて初めてビールを飲んだのだが、あまりおいしいとは思えず、半分以上残した。

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