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マインド・ザ・ギャップ 9

僕はこの国に入ってからもう何回溜め息をついたんだろう?

 先行きは限りなく不透明だ。得体の知れない不安だけが募る。気を紛らわすためにスケッチブックを広げ、構図を決め、パースを取り、人物を配置してざっと目の前の光景をスケッチをした。当時の僕はジャン・ミシェル・バスキアに影響を受け関心を持ってはいたが、彼の絵自体を模倣してもムダだということは理解していた。

 僕の画風は比較的写実的なものだ。チェケルの旧宗主国はイギリスだったが、僕はどちらかというとアメリカかぶれだ。勉強の息抜きはクローゼットの中に保管されている父さんが若い頃から集め続けた膨大なレコード・コレクションを引っ張り出して聴くことだった。

 父の専門はジャズだった。ブルーノートやプレステッジ、アトランティックやインパルスやブラック・ジャズがプレスした偉大な先人たちのプレイを聴きながら、海の向こうの超大国に思いを馳せたものだ。残念なのは父さんとこのレコードを聴く機会がなかったということだ。母はあまり興味がないようだった。

 その頃父さんはあちこちをプライベート・ジェットで飛び回って資金援助を呼びかけていた。資金援助と言うといくらか聞こえはいいが、要は返せるはずのない金を無心して回っていたわけだ。父さんのストレスも相当なものだっただろう。本来であればNGOの支援も受けたいところだったが、どのNGOも色のいい返事はくれなかったらしい。でも人道支援団体だけは父さんの相手をしてくれた。主に歪んだ独裁体制を糾弾する方向で。国民には感謝されず、国際世論にも見放され、人道支援団体になじられる父さんが、なぜまだ進み続けられるのか僕には想像も理解もできなかった。

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