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マインド・ザ・ギャップ 8

それからロンドン西部のヒースローに降り立つまで、そう時間はかからなかった。

 家庭教師と一緒に必死になって残っていた時間はほとんど机にかじりついて、どうにかパブリック・スクールに入れるくらいまでは成績を上げた。途方もない本数の鉛筆が削りカスに変わった。元の成績が低かったので伸びしろだけはあったらしい。その間描きたい絵の構想は膨らんでいく一方だったが、絵自体は数枚しか描かなかった。国際線のターミナルまで見送りに来てくれた父さんと母さんは頑張れなんて言わなかった。


「君は国境を越えられる数少ないチェケルの人間だ。いい機会だ。世界の広さを体で感じるんだ」と父さん。
「今さら何も言うことはないわ。行ってらっしゃい」と母さん。


 イギリスまでの直行便はないので乗り換えを繰り返し、トランジットで半日以上が潰れた。予想通りヒースローは8月だというのに僕には少し寒かった。バッグの中を漁り、ニットキャップを深めに被る。チェケルでは絶対に使わないものなので、売っているところを探すのは大変だった。入国審査は特に問題なく終わったのだが出口がどこか分からず、しばらくウロウロしていたら親切な人が案内してくれた。
「イギリスは初めて?」と白人の老婦人は言った。婦人はサイズの合っていない、ほとんど灰色になりかかったもともとは黒かったであろうメガデスのTシャツを着ていた。
「ええ、まぁ。何で分かるんです?」
「イギリス人だってここの天気は読めないけど、8月にニットキャップを被ってる人なんていないもの」
「そういうもんですか」
「そうよ」
「じゃあなるべく目立たないようにこれは脱いでおいた方がよさそうですね」と僕がニットキャップに手をかけると、婦人は慌てた様子で「いいわよ!」と制した。
「似合ってるし、それにイギリスは初めてなんでしょう?もし風邪でも引いたらなかなか治らないわよ」
「それもそうですね」
 僕は婦人に礼を言いゲートをくぐってロビーに入る。やはりチェケルの空港とは比べ物にならないほど現代的な内装だ。売店に立ち寄って軽食と新聞を買おうとしたが、新聞の方は噂に聞いていた通りゴシップ紙ばかりで、どれを買えばいいのか分からずとりあえずガーディアンを買った。ベンチに腰掛けしばらくガーディアンに目を通しながらイギリスでの生活について考えた。僕らの家族は旧宗主国に倣って3人ともプロテスタントで、洗礼を受けている。でも毎週日曜日に礼拝に通うほど熱心な信者ではなかったので、このプロテスタントの国でもそこそこやっていけるだろうという風に思っていた。特にイギリスという国で暮らすことに不安はなかったが、問題はパブリック・スクールという閉鎖環境だ。僕にはその中で何が起こるのかまだうまく想像できずにいた。一応カリキュラムは送られてきていたので改めて目を通す。けっこうハードだ。とにかくイベントが多い。それに寮は相部屋だ、ルームメイトたちとうまくやっていけるかも心配だ。あとビデオゲームなんてできそうもないのも痛かった。当然携帯電話も禁止だろう。おまけに寮対抗の交流戦まである。僕は友達と校庭でサッカーボールを蹴って遊んでいたくらいで、まともにスポーツなんてやったことがない。僕はクリケットだってやったことがない。そのあたりも不安だ。

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