病気が見つかるまで②


しばらく空いてしまいました。。
ここらでまた続きを書きます💨

記憶が年々薄れてるところもあるので、
一部省略しちゃってるところもあります💦


婦人科受診は、結局12月ごろまで続いた。

基礎体温はガタガタ、生理は変わらず不規則。
なので、カウフマン療法という、ホルモン剤を飲んで生理を起こす治療をしていった。

毎回生理が来て5日目以内に病院に行かなければなので、生理が来た日と授業の空きコマが重なるグッドタイミングをつかみ、2時間まって薬をもらう、という繰り返しだった。
とにかく、疲れた。(´ー`)

それまでの間、プロラクチンの値はずっと120台で経過(正常値は15ぐらい)。
高すぎ!!

12月。さすがにおかしいとなり、先生に
「脳に腫瘍があるかもしれないから、近くの総合病院を紹介するね。そこでMRIを撮ってもらってください。」と言われた。


え??


腫瘍???


全く予想もしてなかった言葉を聞いて、そのあとの帰り道はあんまり覚えてない。


いや、まさか。私に限って腫瘍なんかないよ。ありえん。え?腫瘍?

脳内バグ再び。🤯
がんを宣告された方の気持ちが、ほんの少しだけど、わかったような気がした。

ただの生理不順だと思ってたのに、一気に只者じゃなくなった感がぞわっときて、国試が2ヶ月後に迫ってるのに何も考えられなかった。

とりあえず母に報告。
「まじか…。でもそう決まったわけじゃないから、とりあえず勉強がんば。」と神妙な顔つきながら背中をおしてくれたのはちょっとホッとした。

1月までの間、ほぼ毎日緊張して生きてた。
年越しもハッピーニューイヤー!のテンションではなかった気がする。ハッピーとは、、って感じ。w


1月。紹介先の病院へ母と行った。

脳神経外科のえらい先生とご対面。
陽気な感じのおじちゃんだった。

内分泌内科にコンサルされ、まず最初にホルモンの負荷試験をやることに。

ベッドに寝て、ホルモン剤を注射し、下垂体から出てるホルモンがどう反応するかを見る検査。注射してから30分、60分、90分、120分のタイミングで採血をするので、拘束時間は長め。

しかも寝ちゃうとホルモンの値は変動してしまうので、寝ないようにするのも一苦労。耐えた😇

別の日に、視野検査と、造影MRIをやった。

視野検査は、暗い部屋で、片眼ずつ、ちっちゃな動く光が見えた時点でボタンを押すっていう検査。めちゃくちゃ集中力がいるのですんごく疲れた。👀

MRIは、造影剤でアナフィラキシー起こったらどうしよ、とか、爆音だったら耳ちぎれるな、、とか思いながらあのトンネルの中へ。

めっちゃ緊張しながら、お祈りしながら入りました。笑

アナフィラキシーは幸い起こらず、少しスーッとした感覚と、ほんのりあったかくなるような感覚のみ。

ヘッドホンをして音楽を流してくれたので、工事現場みたいな音はたしかに気になるけど、あーうるさいなーぐらいで耳はちぎれなかった。

40分ぐらいだったかな、検査は無事終わり。

結果が出るまでの間、これでもかっていうぐらい、「腫瘍じゃありませんように…腫瘍じゃありませんように…」とひたすらお祈りを捧げていた。

母もたぶんドキドキしてたと思う。
会話はほとんど交わさなかった。

20〜30分ぐらいたって、ついに呼ばれた。
心臓が飛び跳ねた感覚、今でも覚えてる。笑

開口一番、先生はなぜかニコニコしながら言った。


「ここに腫瘍があるね^ ^」




…………………まじか。🙄


意外と冷静だったような。
冷静というか、ぼーっとしてたのかも。
実感がなさすぎて。

母が、「えー、、腫瘍、、」と言ったのを聞いて、やっと事態をのみこもうとする。
やばい。本当に腫瘍だったんだ。

続けて先生は脳の模型を使いながら、
「ここの下垂体っていうところに1センチぐらいのできものがあるんだよね。このせいで生理が来なかったり、母乳が出たりすることもあるし、不妊の原因になったりする。大きくなると、すぐ上の視神経を圧迫して目が見えづらくなったり、失明することもある。」

「ホルモンの負荷試験の結果もあわせて考えると、プロラクチン産生腫瘍っていう種類になるかな。」

と言ってたような気がするけど、正直わけがわからず、ただ聞くことしかできなかった。

「今の感じだと、少し視神経がたわんでるから圧迫されつつはあるね。でも視野検査の結果は大丈夫そう。」

そうなんか、、ひとまず良かったけど。
明日目が見えなくなってたらどうしよう。
国試もあるのに、まだ22なのに、
人生どうする?

とまで一瞬にして考えてしまっていた。

母はすごく曇った顔をしながら、ため息まじりにうなずいていた。

この状況、味わったことないぞ。どうする。

先の見えない不安、暗闇が一気に目の前に現れた中、先生は
「もっと専門的にみれる都内の大学病院を紹介するから、そこで詳しく検査してもらいましょう」と。


都内?大学病院???


縁のないところだと思っていた場所。
そこに行って、検査?

急展開すぎて、ちゃんと呼吸してたのか覚えてない。笑

紹介状をさっそく書いてもらい、4月ごろにその大学病院に行くことになった。

無事に国試が受かってれば、4月は助産学生。
私、助産師になれるのかな?
急変して、死んだらどうしよう。
って最悪の事態まで考えていた。

帰り道。

「まあ美味しいものたべて、まずは国試頑張ろうよ。大丈夫だよ。」

母は、どちらかと言えば物事を少し厳しめに見るような人だけど、この日はちょっと違った。

その優しさが、涙腺をじわじわ刺激してきて、あとでこっそり涙ぐんでたのは内緒。笑

病気が見つかるまで編は、次で最後になると思います^ ^

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?