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文京は練馬を強いられる。

「文京は練馬を強いられる」

石を投げれば文化と教養に当たる文京区にせっかく居を構えているのに、車ナンバーは「品川」ではなく練馬マザファッカーと同じものになってしまうのが心外すぎる気持ちを表現したアノニマスな傑作。

これの意味するところをにご存知なようだったら私と同じ重度のツイ廃である。

タワマン、総合商社、戦コン、慶應、丸の内などの珠玉のキーワードがパレットに積まれコンテナにバンニングして、アルゴリズムの助けを借りタンカーに乗せられ七つの海へ船出する。
人には人の乳酸菌。
クラスターにはクラスターのバズワード。
キーワードをうまく組み合わせさえすればすいつだって通知が鳴り止まない。

女子は港区で
ママは大抵文京区か湾岸かおおたかの森で
男はみんな商社マンか外資金融か戦コンで
丸の内勤務。

そして大抵慶應卒。くそほどのダイバーシティのなさ。

すりガラス越しのリアリティをもって語られた東京カレンダーのような生活がまことしやかにリツイートされ真顔で議論されていく。マニアックな固有名詞ほど良く好かれる。東京カレンダーの編集者の年収は400万円台だって。ツイッター情報によると。

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街中では確かにルイヴィトンのモノグラムを煌めかせながら闊歩する女性は減ったけど、8bitのブランドロゴは日に日にSNSのサーバーに存在感を増やしてリッチコンテンツになっている。

マウントのしあいが貨幣価値を生み出す新しい資本主義が到来した。
マウントのレトリックにも学問がある。
三流は明喩ならぬ明マウント、あからさまにブランド品を買いましたとか、高級ホテルでヌン活したという表現は誠に拙く、蛍光灯のしたで飲むカクテルのごとく風情が薄く興醒めである。
二流は暗喩ならぬ暗マウントを使いこなし、決して直接ブランド名を仄めかしたりせず、写真の隅にさりげなくチラついたりするだけ。周りの風景を撮ろうと持っただけなのに、レクサスのハンドルについているロゴが間違えて映ってしまったり、美味しい料理の写真を撮っただけなのに、オレンジ色の紙袋が誤って映ってしまったりするので、決してわざと晒したいわけではなく、純粋に事故である。
そして一流の文章や写真に、そんなものは登場しない。彼ら彼女ら、そして私も含めて当然一流なので、他人の間違いを指摘する、あるいは疑義を申し出る、に留める。陰翳礼讃よろしく、日本の美学である。東にクリスマスに彼女と高級ホテルでディナーをしたという写真があれば、麻布台ヒルズが立ってないけどなんで?という真っ当な指摘をしたり、西にバーキンを新品で買ったというツイートがあれば、バーキンはエルメスのお得意様じゃなければそもそも新品は買えないという情報を惜しげなく差し出す。

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白昼堂々と「バーキンを買うなら豊胸をしろ」という広告がタクシーに貼られて東京中を駆け回っている。
私の地元の錦糸町にいくらいても気にも留めないが、まさか文京区と世田谷区にはいかないんだろうね、と要らぬ心配をしてみる。

バーキンを買うことと豊胸をすることの欲望の向かうベクトルが全然違うから、比較してどっちを取るかっていうのはおかしいのではないか?むしろ豊胸したらバーキン買ってもらえるし、バーキンを自分で買えるお金があるなら豊胸する必要ないだろうと自然にツッコミをいれてしまうのは、長くツイ廃をやっていた脊椎反射であり、自称言語化アスリートの得意技である。

オキシトシンが恒常的に欠如している私たちはツイッターでマウントしあうことでしかドーパミンの分泌を得られないようになってしまっている、きっとブルーライトのせいだと思う。あるいはワクチンのせいなのかもしれない。

バーキンを買うなら猫を飼え。

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