やめたこと①

ある友人が、今年の春から独立することになった。
応援の意味を込めて、彼女の子供達の送迎のお世話をすることになり、10ヶ月ほど頑張った。
週二回、夕方の貴重な時間を30分奪われることになり、けっこうな負担となった。
勤めの帰りに彼女の家へと周り道し、子供達の準備が整うまで待機する…。
買い物など寄り道もできずに行動に制限が生まれる。
積み重なれば、結構な時間的損失になる、というのに早々に気づいたものの、人間関係を優先して言い出せずにいた。
それでいて、お礼と称していただくわずかなお駄賃に、悲しみが湧き上がる。
私のお世話ってこれだけの価値なのか?お金が感謝の気持ちであれば、少なすぎる感謝の量…。
タクシーなら1回2000円近くかかるのにひと月その半分すら貰えていないのはどういうこと?私の疑問はどんどん膨らむ。
子供達、といってももう高学年。
本当に私の援助は必要なの?
当たり前のように乗り込んで出て行くふたりに怒りさえ覚えた。
気持ちよく送迎できなくなっていた。これはまずいよね。
子供達はなにも悪くない。
悪いのは、口をつぐんだ私だ。

私は正直に現状を伝えた。
すると彼女はすぐに理解してくれ、送迎は取りやめることになった。
ひとは親切に慣れる。
それが当たり前になり感謝が薄まった時、不満になる。
身を持って体験した。
人生は全てが学びだ。

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