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大塚のホームラン王

大塚の街にいつもキラキラと輝きを添えていたバッティングセンターの灯りが、6月末でついに息絶えてしまった。

昭和のゴールデン番組のような風合いのレタリングで書かれた「ひょうたん島」の文字。噂によれば、現存する日本最古のバッティングセンターらしい。1965年からこの地で営業していたようだ。道ゆく人もちらほら写真を撮っている。



階段を登ると、ボールがバットにぶつかる音と共に人の賑わう声がガヤガヤと聞こえてくる。みんな最後を偲んで来たのだろうか。

左打ちのレーンに入り、ボテボテのキャッチャーゴロを量産する。最後なので気持ちよくヒットをかまして終わりたいところだったが、運動不足の体で打ち返す球はどれも弱々しく転がっていく。

バッターボックスが並ぶ通路にはアーケードゲームがいくつも置かれていて、子供たちが群がっている。バイクを模したコントローラーに実際に跨って首都高速を走るレーシングゲーム。金の無い子供が意味もなく座っている。

壁には訪れた有名人のサインがずらりと並べられている。芸能人に野球選手、イチローのモノマネ芸人のサインまである。知らない芸人だが、顔写真の下に「ニッチロー」と説明書きがあったので多分そうだろう。

運動して腹も減ったところで、頭の中で大塚の飯屋の記憶に検索をかけながら階段を降りていくと、踊り場に貼られた写真に目を奪われた。

そこら辺にいそうなおじさんがガッツポーズで決め顔をしている写真の上に、「ホームラン2000本達成!」の文字。

なんだか雲を掴むような数字だ。あの王貞治だって生涯かけて800本そこらだって云うのに。

しかし2000本のホームランという数字は、ネオンの音や古い建物の匂いよりもずっと、その歴史の重さや途方もなさみたいなものを目の前に突きつけてくる。

大塚のホームラン王の本塁打記録もここで遂に途絶え、そしていつかは誰からも忘れ去られてしまう。おそらく彼は自伝を出版することもなく、インタビュー特集が組まれることもなく、この世を去っていくだろう。

そんな戦後史のB面を、ここに文章として記録しておく。

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