掻痒
足の親指の爪が剥がれている気がする。
つま先に剥がれ落ちた爪の感触がある。
気のせいだと思うが、念の為革靴を脱いで確認する。やっぱり剥がれていない。
1人で金融系の企業の集まるオフィス街に向かっている。
打ち合わせまでまだ少し時間があるので喫茶店でトマトと茄子のスパゲッティを食べる。冷や汗と共に何かが込み上がってくる。トイレで嘔吐した。
毎朝起きて夜まで気の合わない他人に囲まれて消耗した脳みそは油の切れたカラクリのようで、いつも次の瞬間には止まってしまいそうな異音を立てている。
吐いたら少し頭がクリアになって、少し斜め後ろの画角から自分を捉えられるようになる。
鏡に映る自分の青ざめた顔を見ていたら、中学生の頃YouTubeで見ていたエミネムのミュージックビデオと全く同じ状況になっていて笑ってしまった。
しかし本来は、生活のための仕事などに我を失っているべきではないのではないか?
、、、本来とは何なんだ。
小さい頃に読んだ夏目の『夢十夜』の第六話に出てきた、木の幹の中に埋まっている仁王を彫り出す運慶のような人生観を、未だに自分の根底に抱え込んでいる気がする。
つまりは、まだ自分には何かが埋まっていると信じたいのだ。
人がパニックを起こすと頭や皮膚を掻きむしるのは、きっと在るべき自分の姿を己の肉体という丸太から必死に掘り起こそうとしているからである。
『ここではないどこかへ』、、。
ボードレールが『巴里の憂鬱』のなかで唯一英語でタイトルをつけた詩だ。気恥ずかしいような内面の吐露も、外国語にしてしまえば臆面もなく口にできたりする。そういった人間の格好の悪さに限って時を超えた普遍性を持っていて、少し愛らしい気持ちになる。
電話口の母親のような声と不自然な笑みで商談をやり過ごしながら、そんなことを考えていた。
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Google Mapで「人殺し」と検索すると1件だけヒットするセブンイレブンがある。
数ヶ月前から気になっていたのだが、打ち合わせの帰りに近くを通ったので立ち寄った。
コンビニエンスストア特有の匂いがする。奥行きの薄い生活の匂いだ。冷蔵庫の奥の霜を掌の上で溶かした時の匂い。調理済みの焼き魚が入ったパックの蓋のビニールを捲るときのような、そういう触り心地の。
レジに目をやると、指先までびっしりタトゥーの入ったヤマンバギャルが店番をしている。5cmくらいある付け爪には十字架のチャームが垂れ下がりカチャカチャと音を立てている。
ちょっとした生態系が育まれていそうな大きさのつけまつ毛は、宿主の瞬きに合わせてその身を揺らしていて、風の強い日の林のような壮大さを秘めている。
つり銭を手渡される時に彼女と目が合った。彼女の半開きの目線が俺の目をすり抜け、背中の奥に突き刺さるように感じた。もっと遠くを見ていたような気もする。
会社に戻ると、都合の良い案件を持って帰ってきたせいか、先週末に挨拶の声が小さいと言われて諍いになった上司の態度が妙に優しかった。
等間隔に蛍光灯の並んだ空間で繰り広げられるコミュニケーションは、薄いフィルムを爪で掻きむしっているような息苦しさを伴っている。
次の週、俺は会社を休職した。
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