【日記】雨、夏、傘 2023/06/30-



怒ったように降りしきる雨の音を聞きながら、胸のうちからこぼれる言葉をここに残す。
不安とか、心配とか、喜びとか、そういう言葉では言い表せない、煙る霧のような日々。どこかを目指そうにも遠くはみえず、それよりも足元を見るのに精一杯だった。
今、たった今は、多くの雨が休む暇なく窓を叩く。日は未だ落ちてなくとも、空は当然ながらグレイで雨もたくさん降るから視界が悪く、霧のような心象と大して変わらない景色がある。
それでも雨は私は好きだ。眺めるのが好きだ。音が好きだ。雨が雨として存在するときの、あの何よりもすずしいこの音が好きだ。雨に溺れるのはこの上ない安心だ。夜闇に降ってくれていると、なおのことよい。果てしない夜の海に混じって、泡となって沈みゆく、あの幸せだ。
予報では、明日の朝ごろまで続きそうだ。
それまでは私をこの海に沈めてしまってもいいだろう。


存在を続けるうえで燃料となる事象、言い換えると、生に対するモチベーションは、夏の夕暮れにヒグラシの鳴き声を聞くことである。街に流れるそれは、高まった速度をゆるめ、一日をゆっくりと閉じる。それを聞くことを楽しみにすることで、日常を明日にそれでも続けようとしている。
ここ一週間は、もっぱら夏を感じている。蒸し暑く、蒸し暑い日々が続いている。時折、今日みたいにたくさんの雨が降る。空には可能性みたいな雲が流れている。それらの総合で夏を感じている。夏を感じつつある。
早く夏が来てほしい。いや、違う。正確に言えば、早くヒグラシが鳴いてほしい。ヒグラシの鳴き声に心を落ち着かせたい。何かを忘れたような、それでいて諦めに似た感情で落ち着きたい。風情を求めている。
夏の暑さは、立ち止まることの大切さを教えてくれる。
雨の夜は、なおも続いている。深海のように、時間がとまってくれる。


日付が変わってもなおも降り続けている。
今日はこれから近所のスーパーに行かないといけない。なぜなら食材が無いから。それなのに雨は降っている。なおも。
ということでスーパーに行くというタスクを抱えている訳であるが、ここで考えるべきことは、雨の中どのようにしてスーパーに行くか、ということである。選択肢としては二つ。自転車or歩き。その二択である。
自転車の場合、そこからかっぱを取り出して、ただでさえ涼しい格好でいたい状態なのに、濡れないように丈夫に拵えられたかっぱを着て、あぁ蒸し暑い蒸し暑いちょっと顔濡れるじゃん前見えん、と思いながら自転車漕いでスーパーへ向かう。
歩きの場合は、奥から傘を取り出して、時間をかけて歩いてスーパーに向かう。歩きの場合は、それでも傘なので、自転車で向かうよりも少しばかり濡れる面積が増えるかもしれない。靴も濡れて、ちょっとぐちょぐちょしてしまうかもしれない。
でもその分、自転車のときよりもゆったりとした時間が流れるかもしれない。傘を使うのは久しぶりなので久しぶりの体験をすることになる。久しぶりに雨の中、傘と共に、雨音を聞きながら車の水しぶきを見ながら街並みの落ち着きを感じながら、歩くことになる。自転車よりも時間はかかるかもしれないが、それよりも得がたい気持ちが訪れるかもしれない。
濡れてしまってもかまわない。この先何が訪れようとも、体が冷えてしまっても、少しばかり笑える瞬間だけあればそれでいいのだと感じている。


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