【雑記】生きづらさ


ガラクタみたいな生活を続ける。ガラクタみたいだから別にこんな生活に価値は無い。価値は無いから期待もない。そう思うと少しは楽になる。
ずっと、ずっと、諦めという名の怠惰でもって流れていた。私という名の個体には抱えきれない暴力が襲いかかってきて、でもたまに撫でるような甘さで殴ってきたりもして、もうはち切れそうな思いだった。いっそのこと振り切れてしまいたかった。でもできないから、生きているように生きた。死んだ笑顔で。
そんな感じで続けていたら、ガラクタみたいな生活になった。何千回と噛んだガムにも似た顔の生活。斜め後ろからいつか本気で殴られそうな生活 (でも殴られない。躾をされた犬の目が潤んでいる)。でも、どうしようもなかった。
雨がふっても傘はささず、体の芯まで冷えていく。そうして魂を殺していく。それが今の私には相応しかったんだ。


希望もなければ,絶望もない。ただただぬるい温度が続くだけ。


この世界は何でできているのだろうか。
朝日はおはようの色。少しだけだけど,目は開く。
世間はいろんな音。まざってしまえば黒色,それもいいね。
この世界には何があるのだろうか。
夕焼けはやさしさを彩る。少しは生きてもいいか,という気にもなる。
月夜にはさみしさを吐く。さみしくなっても心はひとり。そんなもの。
私にはどうも生きづらい。何がそうさせているという。


幼少期は,とんでもない田舎で育った。
周りは山の緑と空の青。見渡しても人はいない。家はぽつぽつ。そんなところ。
感じられるのは,自然のしずけさ。圧倒的過ぎるがゆえに,何も感じられない,あのしずけさ。脅威という言葉に置き換えられるかもしれない。自然というのは無慈悲なもので,私というちっぽけな存在など気にも留めない。それを私が気に入らないからといって,自然の営みに介入できるかといったらそんなはずがない。その場の草をむしっても,何も変わってないだろう。いや,強調すべきはそんな風な扱いが心地よかったことだ。居場所があった。
こんなところから,人の生に対する所感が染みついたのだと思っている。すなわち,無常観,だろうか。そこがベースとなって,外界の反射をしているのかもしれない。ならば,生きづらさは何から感じているのだろう。無常観と,どうかかわっているのだろうよくわからない。なんだ


滲むように,よごれていく。
淡い


雨の落ちる響くリズムに光をみた
どこからみえているのか不思議に思って探してみたら,
どこからもみえないのに目のまえが全身で光っていた
それでいいことに気づいた落ちついた
……



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