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お金を考えるとは生きるを考える事

自分が稼ぐお金、つかうお金、親が作ってくれたお金、自分が直接取引するわけじゃないけど、世の中にあるたくさんのお金たち。

もしお金に余裕があって、何不自由なく生活をしていたら「お金ってなに??」なんてこと考えなかったと思う。たぶん。
どうしてこんなに辛いんだろう。お金がたくさんあったらなぁ。

お金で悩み始めたのにはきっかけがあった。


大黒柱でもあった家族の死だ。
なにもかもが崩壊したと思った。
だれかに助けて、と言うこともできない。
自分が何をすればいいかも分からなかった。

分からないなりにもいろんなことを考えた。
死ぬほど働くのか、投資でお金を増やすのか、不労所得を作るのか・・・
自分のこころはそっちのけで考えて、できることはやった。

とはいうけれど、正社員で働くことには気が進まなかったので正社員としては働かなかった。
周りの友達や気遣ってくれる人間は、「正社員ならお金も安定するしそれが心の安定にもつながる」と正社員を勧めた。
一理ある。やってみてもいいかなと思いつつ、まだそれを選択するには至っていない。自分の気持ちを大切にしたい。それが理由。
どんな気持ちか? 
不安だということ。そっちは行くなって言われているみたいで。

家族の死を経て、これから生活するお金がないという現実が生まれた。
(「お金がない」とは、今まで定期的に入っていた生活のためのお金が入ってこなくなるということ。)
自分でできることとして、派遣とは別に単価の高いバイトをかけもちしてみたりした。
そんなとき今度は祖母が倒れた。入院が続いた。 
危険な状態だった。
もしものことを考えて、中抜けできないバイトは辞めることにした。
お金の為にと思って始めたのに、気づけばお金より優先するものがあった。

お金ってなんだろう・・・


いつしかこんなことを考えるようになっていた。
なにもかも捨てて働けばお金が入ってくるのか? 
いや、そうだとしても、自分は何もかも捨ててお金を稼ぐことがしたいわけじゃない。
お金を稼ぐにはどういう知識がいるのか?
自分は何も知らない。
じゃあ何か知識を付ければもっとお金が稼げるかもしれない。
そういう考えに至った。

そこで調べた。


まず、投資というシステムがあることは知っていた。やるのはお金持ちでお金の知識にものすごく長けている人だというふわっとしたイメージがあった。
そのころTwitterで副業で稼ぐという人間が多くいた。そしてそのノウハウを有償で提供するというビジネスもやっていた。
ものは試しと申し込んでみた。
どんな知らない世界が待っているのだろう、どんなすごい知識を教えてくれるのだろう、とワクワクしていた。

だけど、いざ教えてもらったことはそんなに大したことじゃなかった。
ポイ活やアフィリエイトならもうやっていたし
継続することが大事、というメンタル的な教えが多かった。
少し疑い始めた。 ねずみ講と同じじゃないか。
ひと月の受講料は数万円するのに稼げるのは1万円程度。それも同じ作業ではなく、次々と新しい事をやっていかなければならない。SNSやネットサービスのアカウントとパスワードが無駄に増えていく。アカウント作成のための個人情報もバンバン出ていく。
そうしていると不安が大きくなった。
そう思って辞めた。

他にないのか・・・


ちょうどポイ活案件として登録していたFXをやってみることにした。
パソコンとタブレットを開いてチャートを見るところから始めた。
ネットで知識を入れて最小の金額で運用してみた。
数か月してみた。結果はプラス。学んだことを実践して、増えた。
でもすごくわずか。
そんなことの為に、昼間の仕事を終えて、家でPCに張り付く時間が苦痛になっていた。
FXや投資っていうのは、元手の割に増える金額が小さい。
当時はそれでは生活できないと思って辞めた。


祖父が生きていたころから、家族の中で喫茶店を作りたいという夢もあった。


いっそのこと、作ってしまおうかと思った。
何をやってもこれだ!と思うものが無かったけど、
喫茶店を作るための行動を考えると、心が動いた。
ちょうどクラウドファンディングというものに興味があってやってみたかった。プロジェクトを提出して、クラファン企業の人と一緒に作っていくものだと思っていたけれど、ほぼ一人でこなした。サポートしてくれると思っていたのに・・・。
内装業者を探して、グッズの仕入れ先を探して、SNSを開設して投稿して、宣伝して・・・ 
ちょうどの頃、コロナが流行り始めた。
そこで「あぁ。もうこれはダメだ」と思った。
決して体の強くない祖母がマスターとなる予定の飲食店。
それに、コロナという未知の危険物に遭遇して、不安が勝った。
そこから宣伝もほどほどに。多くの人からの支援も見込めなかった。
想定外の事がたくさんあった。

上手くいかないものだなぁ。
しんどいなぁ。
先の見えない挑戦ばかりしていて心も疲弊した。
なにもかもに疲れた。
どうして上手くいかないんだろう。
そうして調べものをするけど、ネットの文字を見る事にも疲れた。


いろんな本も読んだ。

お金というものはひとつの手段でしかない。

ある本にはそう書いてあった。
なるほど。と思った。
生きるための手段としてのお金。
お金のために生きてるんじゃなくて、生きるためにお金の方を調整する。
生きるために必要な金額を稼げばよい。
そんな考え方が自分のなかに生まれた。
稼ぐための手段として、労働・投資・起業などがあり
それらさえも、どう生きるか・どう生きたいかで決めていけばいいんだ。
でも、そういわれても・・・と思う自分もいた。
どう生きたいかなんてあまり考えたことがなかったから。
祖父が生きていたころは楽しかった。
飼っていた犬も祖父が亡くなってすぐに死んでしまった。
一瞬にしてそれまでの日常がなくなった。
それに対して悲しいのか、なんなのか、とにかく、
なんとかしなければ、という気持ちで突っ走っていた。
そうじゃないのか?
みんなはもっと人生設計をして、もっと小さいころから綿密な計画の上で人生を歩んでいるのか??? まさか?

薄いオブラートが水に溶けていくみたいに、
それまで自分が守っていたというか、思い込んでいたものが、すぅっと溶けていくような感覚がした。
いろんなものの境目が分からなくなったような、音もなく自分を守るものが消えたような感覚。。。

どう生きたいか?


今でも分からない。自分の気持ちすら分からない。
ちょっと休もうか。いや、休んではダメだ。
あれ欲しいな。いや、お金がかかるからダメだ。

いまだに、亡くなった祖父の穴埋めを、なんにもできていない。
今までの行動はすべて間違っていたのかな…
何がダメなんだろう。。。
まだまだかける時間が足りないのかな…
いくら考えても分からない。

分からないことがストレスになってくる。
突然あふれる涙、きゅうっと痛くなる心。
ずーんと重い、頭・心・もっと奥の深いところのどこか。
どう生きたいか?
分からない。

ここまできたら、お金より生きることについて、まずは考えようと思った。
何がしたいか、何をしたくないか、どんな些細なことでも自分の心に耳を添えて、心に嘘をつかないようにする。
これが難しい。
社会に出て働くとなれば、自分の心なんて一瞬でしぼんでしまう。
通勤中、「今日はちゃんと自分の意見を言うぞ!」と意気込んでいても、
いつもの職場につけば、いつもの自分に逆戻りする。
通勤中、「あぁ。今日もここまで来てしまった・・・」と涙があふれても、
いつもの職場につけば、いつもの自分に逆戻りする。

そういう日々が嫌になる。
何のために生きてるんだろう。
自分は苦しいのに、なんで生きてるんだろう。
苦しいのに、いままで我慢してきたのに。
自分が我慢してても、他の人は笑ってる、断ってる。
好きなように生きている。

自分もそうなりたい。

その中で、喫茶店を作る夢がある。
どこかで自分の人生に組み込みたい。
そう思ってる。

自分以外のほかに解決策をさがしても埒があかないんじゃないかと、最近になって思ってきた。
ともし火は自分の中にあって、自分で探して自分で燃やさなければならない。他人からのアドバイスはあっても、自分を動かすことができるのは自分なのだ。自分しかいない。
暖炉の火に薪をくべることができるのは、自分しかいない。

自分をもっと知るべき。生きるために知っておかなければ。
そうしたいと思ったら、自然とお金が出ていく。
嫌でも出ていく。
でも仕方ない。必要なんだから。

一方で、自分にとってあまり関係のないところにお金はつかわないようにしている。意識して。意識しないと見つからないことだってある。
当たり前が当たり前じゃなくなる。
それは自分の心で考えたり、感じたりすることができて初めて分かる感覚だと思う。

お金に対してもそうかもしれない。
お金にどういう意味があるのか。
もしかしたらそれは人それぞれあるのかもしれない。
立場によっても違うのかもしれない。
難しい。

今は、いまある知識で生きることを頑張ってみようと思う。
生きることで、お金のやりくりが分かるかもしれない。
ピンとくることがあるかもしれない。
それまでは、自分のペースで生きていくしかない。

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