【脱線話】毎年10月になると思い出すこと

まだまだやりたいことはたくさんあるし、成長しなくちゃなと思うことは
多くあるけれど今の自分に十分すぎるくらい満足しています

そんなことを思えるようになったのは
今から7年前の10月に起きたことがきっかけです

7年前中学2年生だった私は血迷ったのかODをしました
家にあったありったけの薬と自分で買い足したものも含めて数百錠飲みました

ODに走ってしまう前から自傷行為がやめられなくて
血を見ると生きている実感がして私の腕は傷だらけでした
今でもくっきりと残ってます

私は一般家庭というか恵まれすぎた環境に生まれました
何かに困ったこともないし、挑戦したいことは全てやらせてもらえて
先行投資といって出し惜しみせず何百万、何千万と私に使ってくれる両親
本当にたくさんの愛情を注いでもらっていました

私は恵まれすぎていました
だからこそ、そんな恵まれた環境と特に輝く才能もない自分自身のギャップを
徐々に受け入れられなくなりました

そこから始まった自己嫌悪、希死観念
誰に言われたわけでもないのに、本気で「私はいらない存在」と思ってました
自分で自分を洗脳していました

自分がなんとなくおかしくなっているのはわかっていたけど誰にも
助けを求められませんでした
そんな時ふと目に入ったのが「薬」

「死にたい」ではなく「楽になりたい」と思い飲みました
あわよくば死にたいけど数百錠で死ねるなんて思ってませんでした笑
その時はこの考えだけで行動しましたが、今考えると
「助けてほしい」私なりのSOSの出し方だったのかもしれません

私がODをしたのは朝でした
飲めるだけ飲んで、いつも通り学校へ行きました
ですが1時間したくらいで視界が霞んできて、強い吐き気、聴力の低下
最終的には過呼吸になって、その後の記憶は曖昧です

保健室に連れて行かれて、でもODしたなんて言えるはずもなく
数十回と吐いて、本当に苦しかったです

むしろこんなに苦しいなら死んだ方がマシと思いました笑

最終的に病院に運ばれました
ほとんど記憶がないんですが、病院の先生に「死にたかったの?」と聞かれて
「楽になりたかっただけです」と答えた会話だけ覚えています

それから数日点滴生活を強いられ普通の生活に戻ったのは
1週間後くらいだった気がします

私がこの経験から思ったことは「生きたい、死にたくない」でした
自傷行為はその後もしばらく辞められませんでした
ですがカウンセラーの方とお話したり適度に息抜きして
徐々に自分と向き合えるようになりました

しかし失ったものもあったと思います
父とは微妙な距離ができました

ですが、後悔はしていません
この時ODをしていなかったら、もっと自分を追い込んでいたはずです
私なりにSOSを出せてよかったと思います

毎年10月になると思い出します
ある意味私の人生の分岐点でした


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