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まだまだ浅いのだろうけど、浄土仏教を考えてみた

過去にもそれなりに浄土系の仏教書は読んだことはあったが、はまり込むことはなかった。先日から五木寛之の「親鸞 上・下」、「マンガ歎異抄をひらく」と浄土仏教のことについて学んでみようと立て続けに読んでみた。

五木寛之の「親鸞 上下」(※実際に読んだ本は「青春編」であり、この後に激動編、完結編が存在しています)を読んで、親鸞は修行、苦悩をして行きついた末が法然の唱える念仏仏教だったということ。

今から約800年前の時代は争い、飢饉など荒んだ世の中で、生きて地獄、死んで地獄という思想が背景にあったことが念仏が広まった理由として大きいのではないかと思った。

歎異抄は親鸞の弟子といわれる唯円が書いたとされているが、こちらも少しは齧ったことはあるが「マンガ歎異抄をひらく」はマンガでわかりやすくなっており、また巻末には歎異抄の原文と訳が記載されている。

この本の著者による解説が浄土仏教についてわかりやすく書かれていた。

釈迦の教説は皆、迷いの大海で溺れ苦しむ私たちが、覚りの彼岸に到達する方法を教えたものです。
七千余巻の仏典には、無数の法門(教え)が説かれていますが、大別すれば二とおりになります。それを明らかにされたのが、釈迦入滅の七百年後にインドに現れた、ナーガールジュナ(龍樹菩薩)です。
(中略)
覚りに至る道も、強固な意志で長期間の修行を要する「難行道」と、ひとえに「弥陀の誓願」の力で救われる「易行道」とがあるのです。
(中略)
この分類は、中国の曇鸞(どんらん)大使に、そして道綽(どうしゃく)禅師へ受け継がれました。
六世紀、北斉の国に誕生された道綽禅師は、「難行道」を「聖道仏教」と名付け、「易行道」を「浄土仏教」と命名されています。

歎異抄では全ての人間を「煩悩具足の我ら」と言っています。煩悩で出来上がった私たちが、その煩悩を減らしたり、なくしたりすることなど、できるはずがありません。
そんな煩悩の塊だと知られた大宇宙の諸仏は、「こんな罪の重い者は、とても助けることはできない」と、あきれてさじを投げたと釈迦は説いています。
ところが私たちは自惚れ強く、自分が悪にまみれた存在だとは、とても思えません。そのような、自分の力で彼岸まで泳げる(覚りに到達できる)と思っている人には、「船を探そう」とか、「乗せていただこう」という気持ちなど起きるはずがないでしょう。

「聖道仏教」は、自分は「善人」だという前提に立ち、己の力のみを頼っていますから、他者による「救い」を求める発想はどこにもないのです。
自分は煩悩しかない、罪の重い「悪人」だと知らされてこそ、こんな十トンの岩のような自分は、海底に沈むしかないと驚き、救助の大船を求めるようになります。
その「大船」こそ「弥陀の誓願」なのです。

有名な「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」という言葉の意味はこの「悪人」のこと。

生きて地獄、死んで地獄、苦しい輪廻を繰り返す・・・というこの時代の思想があっての浄土仏教を考えればわからないでもない。
翻って民主主義国家であり資本主義の現代の日本では、自己実現思想や経済主義が主流であり、“生きていくことに努力が不可欠”という時代。不景気なども問題はあるが、まったく犯罪は蔓延り、飢饉に苦しむような荒んだ時代とはかけ離れている。

頭では「浄土仏教」のことはわかるが、いまひとつ得心できないのはなぜだろうか。
「生きて地獄、死んで地獄」という思想が無いからだろうか。
そのあたりの思想は個々人によるところだが、それどころか死後の思想すら薄い現代人に「浄土仏教」は受け入れられないのではないかと思う。
それよりか、ここでいう「聖道仏教」のように自己実現やなにかを達成するイメージがあるほうが現代人には受け入れられるとも言えるような気がする。

ただし、高齢になり残りの人生の時間を考えだしたとき、死後の怖さを感じたならば死後(彼岸)のことを知りたくなり、仏教(行事ではなく教え)に触れたくなる気持ちもわからないでもないし、若くとも苦しみの末、親鸞のように浄土仏教に辿り着き信仰を始めることも有りうるだろう。

「易行道」というように分かりやすい仏教であるが、難しい面も持っている浄土仏教。
僕のように頭で考えてしまうタイプには合わないのかもしれないが、時間とともにわかる時がくるだろうか。

若干、批判めいた書き方をしてしまったかもしれないが、時代背景から浄土仏教を考えてみたまでであります。

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