革命は、革命後の世界を先取りして行われる
とてもとても、素敵な対話だった。
「ちいさなコミュニティ」という言葉に集まった人たちが作っていた「ちいさなコミュニティ」。
人々の口から出る「コミュニティ」の意味も、形も、イメージも一致しているわけではないのに、描かれるものは一緒であった。
ちいさなコミュニティとは、すなわち、互助集団の形成。
ちいさなコミュニティとは、遊び場の創出。
ちいさなコミュニティとは、「そこにいていいんだ」という安心感。
もう少し具体的にまとめよう。
ちいさなコミュニティとは、
①相互に価値を創出し合い、認め合う
②個々人が横でつながり、特定の枠がない
③出入りもある程度自由に確保され、他の「ちいさなコミュニティ」ともゆるくつながっている
④安心な場であり、何かを試すことができる
⑤エネルギーの交換が起こる
そこに参加している人が、安心して存在し、提供する「価値」の交換を行っていく場。一人一人が小さいノードでつながって、離散集合的にぽわぽわと、組み変わり、動いているような集団。
大きなコミュニティは、その反対。少数の人間に長いノードがぶら下がって、100人、1000人、10000人規模で巨大になる。相互に繋がるよりも、ハブに向かって直線は伸び、まるでウニやいがぐりのようになる。
対して、ちいさなコミュニティは、タンポポの綿毛のようである。
コミュニティを作ることに、コストがかからなくなった。
時間も、お金も、特別なスキルもいらなくなった。
SNSでポンっとアカウントを作り、グループを作れば、それはもう「コミュニティの受け皿」である。
情報を出すことに、コストがかからなくなった。
時間も、大量のお金も、特別なスキルもいらなくなった。
SNSでポンっとアカウントを作り、つぶやき、写真を撮り、世界に発信することができる。
コミュニティは、どこでも生まれえる土壌ができてきたのだ。
だからこそ、「コミュニティ」はささやかになっていく。特別性がなくなっていく。大衆性がなくなっていく。
さらに、「総クリエイター時代」がコミュニティの役割を変えていく。
これまでの「仕事をこなし、四角を四角のまま動かすこと」に生じていた価値は、代替され、なくなっていく。逆に、なにかを生産し、新しいなにかを生むことが「生き残ること」になっていく世の中に変化していく。
歯車となり、物を大量に安く生み出すことが「生き残ること」であった世界から、「少なく、高い、体験」を創り出すことが「生き残ること」になる世界が広がっている。
そのときに、相互にクリエイトしたものを交換し合えるのも、「ちいさなコミュニティ」にある。交わされているのは「もの」や「お金」ではなく、「エネルギー」である、というお話もでた。
ささやかなコミュニティ、という素敵なネーミングも出た。
今日、この場はたしかに「ちいさなコミュニティ」であった。これからの時代の変革を、先取りする形でカフェは開かれている。
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