人間のタイプを分ける様々な視点 その2

引き続き、てつがくカフェででたタイプ分けのお話。

今日は、②心的ブレーキを自覚的にかけるか/自然にブレーキがかかっているかについて。

話題のテーマとして「心的なブレーキがかかってしまうのか?」が今回のカフェの話の発端になった。
「表現をしたいしたいというのになぜできないのか?」
「素直になれないのはなんでか?」
そんな「ブレーキ」の話。

すると、4人いる参加者の反応がまっぷたつに割れた。2人は「ブレーキって自然にかかっているものでは?」と朗らかに話し始めた。もう2人は「んーーー」という顔をして黙り込んで考えている。

「ブレーキを意識的にかける」というのが理解できる組と、理解不能な組に分かれたのだ。

「ナチュラルブレーキ」と「インテンショナルブレーキ」(英語があっているかは置いておいて)、意識的ブレーキと無意識的ブレーキに分かれた。

なぜその違いができたのかは、よくわからない。もっと深めていき、たとえば「食べたいものを我慢するとき」の状況などを掘り下げていけば、なにか出てきたかもしれない。

しかし、面白いことに、このブレーキの違いは、「その1」でかいた「日常/非日常」のタイプの違いと同じ分け方になっていた。

すなわち、「非日常」を欲するタイプは、「心のブレーキ」を「意識的に」かけているのだ。逆に、「日常」に心地よさを感じるタイプは「無意識的に」「心のブレーキ」が「かかっている」と答えた。

サンプル数が少ないためはっきりとは言えないが、感覚的には納得度が高いように思う。

非日常タイプは、「心のブレーキ」を踏まないと「日常」を送ることが難しい。ちなみに、私も「非日常」タイプであり、「心のブレーキ」を意識的にかけるタイプである。まったくの余談だが。

どちらがいい、という話ではない。日常タイプは「非日常」にあこがれもある。非日常タイプにも「日常」の平穏は必要だ。

大事なのは、「心のブレーキ」がうまく機能しているかどうか。かけすぎていないか、逆にかけなさすぎていないか。

これは、当面の私の追及したい課題でもある。

その3につづく

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