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理解できないヒーロー

数年前、調子が悪かったので緊急に予約を入れてなんばのメンタルクリニックに行った。

私は統合失調症という病気を持ってる為、定期的に薬を貰わないといけない。多くの病気は『全治何ヶ月』とか言われるが、この病気は『全治残りの人生』を覚悟せねばならない。もちろん、限りなく完治に近い寛解というのもあるのだが。

その話はここでは置いておこう。あの診察の日はすごく印象的に記憶している。とても寒い日だった。土曜のなんば駅はコロナ前で多くの人がみな目的地に向かって歩いていた。

大阪の人は田舎者の僕とは違い、歩くスピードが早い。僕も体調が悪い中その早い人波に乗りクリニックに向かっていた。

そこに、彼はいたのだ。

みな下を向いてコートで寒さを凌いで歩いてる中、彼は改札の近くでプラカードを掲げながら叫んでいた。

「皆さん、集団ストーカーに注意してください!」

『集団ストーカーは危険』というプラカードを持ちながら彼は一人で立ち止まりながら歩いてる人たちに訴えていた。

通り過ぎる大量の人は視線をそらし黙々と歩いていた。彼の声と多くの足音だけが響くちょっと異常な光景であった。

当然、誰も振り向かずなるべく関わらないように人々はひたすら通過していた。

当たり前だ。
意味がわからない。
集団ストーカーって何だよそれ?

怖い。
なるべく関わりたくない。

何度も言うが当たり前だ。それは統合失調症の被害妄想だからだ。それを理解してる人も、もしかしたら少ないかもしれない。

不審者。

そう考えるのが自然な感情であろう。

それでも彼はひたすら大きな声をあげる、そして叫び続けていた。


僕は悲しかった。
立ち止まって彼を見てしまった。

何故かと言うと彼が理解できるのだ。


僕は統合失調症を発症して初期に適切な治療を受けて服薬をしっかりした為、彼のような症状は今までほとんど出なかった。

でも、入院中それに近い体験を僕はした。

入院中、今から20年以上前の高校生の頃、発病した僕は病棟のテレビの放送内容が突然自分の事を話題にしてるのではないかと妄想が出た。

急いで新聞を見た。そこには自分と同じ苗字の人が犯罪を犯し逮捕されていた。それを全て僕への嫌がらせだと確信した。

もちろん、それは妄想なのだが僕にとってはそれは紛れもなく事実だった。彼と違うのは僕は入院中だったので精神病院の嫌がらせだと思った。そこだけは彼と違う。

怖くなった僕は暴れて主治医の診察を急遽受けた。

先生に全てを説明すると診察室に医師や看護師が集まってきた。次第に僕は混乱状態になった。

「隔離室に入りましょう」

僕の主治医は迷うことなく僕を隔離室に入れて治療を行うことにした。医師が何人も体を拘束し隔離室に強制的に入った。

隔離室の説明は話すと長くなるので省くが、簡単に言うと独房だ。ワンルームくらいの部屋に布団とトイレしかない。入口は鉄格子で出来ており、外に出ることはできない。精神科病棟にはそういう部屋があるのだ。

隔離室に入り強めの薬を飲んだ僕は1ヶ月後、大部屋に戻ることになった。強い薬を飲んでいる私は常に眠気が強く倦怠感がある。ひたすら大部屋でも寝てた。だが、私の症状である『病院の嫌がらせ』という妄想はキレイさっぱりなくなっていた。

主治医の適切な判断で一時的に隔離室に入れて強い薬を飲んだおかげで僕の妄想はなくなったのだ。当時の僕はそれを理解してなかった。

そして、それから数カ月後。退院して僕は社会に帰った。高校も留年したが無事卒業した。

僕はたまたま迅速で適切な治療をしたお陰で以後、被害妄想が起こることはほぼなかった。

それから20数年後。彼に出会った。

僕は彼と同じ様な体験をしたから彼が理解できるのだ。

彼にとって集団ストーカーというのは事実なのだ。彼の妄想は止まることを知らずとてもつもなく不安になったのだろう。だから人混みの中でプラカードを掲げながら叫び続けたのであろう。誰も理解できないが。

想像してほしい。自分が何かの思想を持ち、それに注意勧告する為に一人で人混みで叫び続ける。

そうとうのエネルギーと勇気が必要なはずだ。まず、普通に人生を送っていたら一人でプラカードを持って叫ぶことなんてない。

だから、彼は誰にも理解できないヒーローなのだ。彼は彼なりの使命感を持ってみんなに訴えていたのだ。

私は集団ストーカーに対して否定も肯定もできない。それは私も妄想という辛い経験をしたからだ。私には彼がヒーローに見えた。毎日怯えながら今日という日に意を決して勇気を持って訴えたのであろう。

このブログを書くのはリスクがある。集団ストーカーを信じてる人にとっては僕の考えがわからない為、僕が攻撃の対象となる可能性もある。でも、私は訴えたいのだ。YouTubeやTwitterでは『糖質』『集スト』と笑い者にしてネットのおもちゃとして弄んでいる人もいる。

中には度が過ぎて犯罪一歩手前の事をしてる人がいる。『頭がおかしいから何をしてもいいのだ』という発想に至るのであろう。

ただ彼らも、もし適切な時期に適切な治療を行えば被害妄想の症状も出なかったかもしれない。でも人によって環境や事情はそれぞれ違う。それは医師でも何でもない僕にはわからないが。

統合失調症というのは理解がとても難しい。

『本来あるべきものがなくて、ないべきものがある病気』だからだ。

クリニックの診察が終わり帰りの駅に彼はまだいた。相変わらず、ずっと同じ事を言っていた。

僕は悲しい気持ちになりながら彼に頑張れという複雑な感情が生まれた。そして彼に目を合わせず通り過ぎた。

その後、なんば駅で彼を見たことはない。

でも集団ストーカーを訴える人は世の中で減ることはないだろう。

理解できるからこその苦しみもある。でも彼は他人だ。僕が説得しても何をしても自分の意志を変えることはないだろう。

自分の無力さを感じながら今日も僕は生きている。ただ、今でも思い出す。彼の勇気だけはたまに思い出してしまう。


彼はヒーローなのだ。

でも、誰も理解できない。

孤独なヒーローなのだ。

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