西の魔女が死んだ

「西の魔女が死んだ」を読んだ

小学生の頃、本が大好きだった。親子読書という活動にも属していて、週に何十冊も図書館で借りて読んでいた。


幼いながらにたくさん読んだ中でも記憶に残っている本というのはあるものでその一冊が西の魔女が死んだ だった。


当時魔女、海賊、忍者が大好きだったので(今も好き)そのタイトルに惹かれ借りて何気なく読んだのだと思う。そして母がこの本をとても気に入った。その後も何度もこの本の話が会話に出てきたのだった。


先日何気なく半蔵門の本屋でこの本を見つけた。もう一度読んでみたいと思ったのだ。しかしその本は1ヶ月ほど開かれることはなく本棚で眠っていた。先月、北海道旅行に行く飛行機で何か時間を潰すものがないかなと部屋を見渡すと、目に止まった。これはいいタイミングだと思い鞄にしまった。


あの頃は多分おばあちゃんっ子だった私にとって祖父が亡くなるこのお話に涙し、素敵な本だなぁという印象で覚えていたんだろう。

そして今大人になり読み返してみるとそんな本ではなかった。これは私の根本に根付く哲学だった。



学校に馴染めないマイは、大好きな田舎のおばあちゃんの家に少しの間住むことになった。自然に囲まれ生活の知恵を積み重ね毎日を丁寧に過ごすおばあちゃんとの二人暮らし。おばあちゃんは魔女だ。魔女と言っても空を飛ぶわけではない。生きにくいこの世で"生きる"方法をたくさん持っているのだ。マイはそんなおばあちゃんと暮らすことで本当に大切なことが何なのか気づき始める。




あぁ、何も気づかなかった。幼い頃に読んだり考えたり学んだりしたことはこうやって人を作っていくんだな、と。そう実感したのだ。そして母がこの本をとても気に入ったことをやっと理解し腑に落ちた。私はこの本の言うことが全てわかった。こんな風に生きてきた。母が幼い頃から伝えてくれたこと。きっと母の想いや哲学が知らない間に私の想いと哲学になっていたということだと思った。



私がふいに図書館で借りたこの本を母がとても気に入ったこと、今の私がまた手に取り読み直したこと。きっとこの本を私は自分の未来の子供に読ませる。巡り巡っていくものなんだろう。この世は心を擦れさせる。しかし何度でも、この本は一番真ん中のところに戻してくれるはずだ、もう大丈夫。

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