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二次元の推しと共に生きていた

私には人生を懸けて推している推しがいます。
昨日の投稿にも少し書いたのですが

https://note.com/imenoawai/n/n9bd25dd33709


長すぎるので引用します

しかし、そんな私が唯一「満足してやり遂げられた」と感じていることがある。
とある作品で、人生で最も夢中になったキャラクターの
二次創作同人誌を完成させたことだ。
(中略)
「推しとその推しが存在する世界を描くこと」に全身全霊をかけていた。
どんなに拙くとも、「自分で描き出すこと」に価値を見出していた。
その時々で、持てる限りの力を総動員して作品を作った。

その他にも、誰に見せるでもない推しの絵を情熱の溢れるままに無数に描いた。
10年弱、私は手の届かない存在に魂を売っていた。
狂気の沙汰だったとしか言いようがない。


推しには17歳の夏に出会った。

今でこそ「推し」「推し活」と言う言葉が存在し
アニメのキャラクターや芸能人に夢中になる趣味は世間一般に認められるところとなっているけれど
当時の価値観で言ったら「ただのオタク」でしかなかった。

私がどれだけ推しに夢中だったかというと
「結婚したいくらい好き」だった。

相手は本と画面の中にしか存在しない。
小さな子どもが「ドラえもんと友達になりたい」と夢見るのとは違う。
「誰かが描き出した2次元の存在」であることくらい分別がついている。
でもどうしようもなく惹かれて仕方がなかった。

兎にも角にも推しに届きたかった。会いたかったし、触れたかった。
作品自体は観られる限り観尽くしたし
昨日の記事の通り狂ったように絵も描いた。
幸い作品の舞台が中世の日本だったので
歴史の本やドラマを観て学んだり、史跡に足を運んで
推しの生きた時代の空気を少しでも感じ取ろうとした。



そうしている間は、推しの存在をすぐ近くに
感じられるような気がしていた。

その感性は止まるところを知らず
いつしか、季節の移り変わりや空模様にも推しの存在を見出すようになった。
この宇宙は推しの生きた時代よりずっと前から続いているんだからと。

こんなに大好きになる人
どうしてこんなに素敵なのかな
どんな時代をどう生きて
どんな事を感じていたのだろう
どうしてこんなに好きなのか理由は全然わからないけれど
こんなに大好きなのだから、いつか必ず届く日が来る。
方法だって全然わからないけど。

そんな気持ちで行動を積み重ね、10年は過ごしたと思う。

推しは「キャラクター」というよりも「実在した歴史上の人物」という認識に
「結婚したい」気持ちは「知りたい。研究したい。」という気持ちに、それぞれ変化していた。

学びを重ね
人生経験を重ねていく中で
好きになったばかりの頃、知りたくてもわからなかったことの答えが、
ふとした時に自分の中から湧き上がってくるようになった。
私が生きて感じてきたことが推しに重なることが何度もあった。

「推しと結婚する」夢は叶ったわけではない。
しかし、その「形」が手に入る以上のものが
私の中にある。

物理的に目の前に存在していなくとも
こちらの存在を認識してもらえなくとも
歴史上の人物として記録が残っていなくとも

これまでの十数年を一緒に生きてきた。そう言い切れる。
世界の全てにその存在を重ねられるほどに想い続けた
この気持ちは
その存在感は
私だけがが感じていることが全てで
誰に証明して見せる必要もない
紛れもない真実だった。

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