多分駄文な

おはようとこんばんは、ならどちらが良いとか好きとかあるのかな。最近はおはようという言葉は、よく言っている気がするけれど、こんばんはってあんまり使っていない気がする。夜に誰かとあってもおつかれーとか、偶然会ったらこんな所で何してんのーッとか言い合っている気がする。だからこんばんはっていう言葉を使っていない。おはようの種類は沢山ある。おはようございますやおはよう、おはよにおはーはよーとか。こんばんはって何かあるかな、ばわーくらいか?そんな事よりもこんにちはの存在を忘れていたよ、こんーとかこんにちーとかくらいかな砕けたのって。まあとりあえずこんばんはって言葉を最近使ってないよってのを枕にして、全然違う話の気長と短気について掛け布団していこうかな。

皆は自分の事を気長だなとか、短気だなとかってどちらだと思いますか。私は自分の事を短気なんだなって大学くらいに気が付きました。初めは気長だなと思っていたんですよね、周りからもそう言われていたしあんまり怒ることも無かったし。でも普通は怒るよって言われるような事を誰かにされた時に、私は笑っていることの方が多い。何故かって、どうしてそうなるんだって、何でそんな事するんって面白くなるんですよね。恐らく異常に沸点が低くて、だから基本的に苛立っているのかもしれない。表には出ないけれど、自分でも気が付かない程度にずっと苛立っているのかも。沸点が低いから、直ぐに怒りを通り越して呆れに変わるんですよね。呆れて笑ってしまうんです、多分。だから気が長いんじゃなくて、気が短いから怒らないのかなって。それに加えてこれまでにも書いたことあるけれど、逸脱して怠惰な部分も加わって、皆が沸点に達する様な時にはもう私は一人笑いながらめんどくせーってなっているから、私の事でも周りの方が怒ってくれている時が多いです。ただ怒ってないだけでされた事は覚えているから、私が怒ってないからって何事も無かったかのように手のひら返されたりしたらキモイなこいつってなったりして。人間関係ってむずいですよね、まあいいんですけれど。

いやいや詩についてはめっちゃ怒ったりしてるやんってなるかも知れないですけれど、そりゃ苛立つし呆れるでしょ。むしろそうならない方がどうかしていると私は感じます。流れを滞らせられたり、遮られたりするのって鬱陶しいじゃないですか。例えば二車線道路なのに路駐する阿呆とか、交差点でタクシー停める阿呆とか。何でそんなんするん、みたいな。詩壇に対しても同じような感じで、何でそんな感じなんとか、もうええってとか。遮られているし、流れも悪くされているし。時間は限られているのに。私は呆れているけれど、普遍的には怒ると思うんだけれどな。

まあそんな感じで、私は気長に見えて短気だよって誰に向けることも無いけれど書いてみた。


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