見出し画像

校正の試験、90分、60分、60分、50分

言葉と生きていくんだ。日本語を究めていくんだ。

コロナ禍下、ある新聞社主催の文学賞で、その新聞に掲載された受賞作(短編)の誤字脱字について親友と「トーク」する中で彼から私へ「性格が校閲に向いてる」とのトークがキッカケになり「校正」の通信教育の受講を始めた。そもそも「校閲」と「校正」は別世界だけど、そんなことも知らないまま結果オーライ!頭が悪いので「校閲」などとてもできない。でも「校正」は受け身の技術であり、深くて広くて果てしない分、頭の悪さはごまかせる(?)かもしれない。「校正」を選択して良かった。

通信教育は一人で学び、一人で調べ、一人で取り組み、添削を受け、そして果てしない多くの「疑問」だけが残る。常に壁にぶつかりながら実に孤独な長い試練だった。例えばテキストについては何度読んでも説明文の意味が分からず、途方に暮れて、自分なりに考えたあげく、活字に関する専門用語の理解を深めるために文京区にある「印刷博物館」を訪れてみたら、活字の歴史と現場に関する展示を見て、活字の用語が生まれた背景を「見る」ことができたことで、難解なテキストの文章の、全然理解できなかったことが少しずつ氷解し始めたことや、漢字が読めても書けない現代病である自覚から日本語力を補うために「漢字検定2級」のハードルを自ら設けて受験したら見事に合格した時など、ささやかな喜びを抱きしめた時も孤独であった。

これまで「校正」に関する3つの講座を1年半かけて卒業した。きのう12/17(日)「日本エディタースクール」という専門学校が主催する「校正技能検定試験(中級)」を受験した。昨年に続き、2度目の挑戦である。私はこの専門学校の学生ではないから外部受験なのだ。「外部受験」と言っても誰でも受験できる訳ではないようだ。この専門学校の学生以外は、実務経験者か、校正に関する他の教育機関の卒業資格などを持っていることが受験資格となるとのことだ。私の場合「校正に関する他の教育機関を終えてる証明」を利用して受験を申込んだ。認められた。

試験は休憩と昼食を挟みながら①実技90分②実技60分③実技60分④学科50分。実に午前中から夕方まで半日がかりだ。

7年くらい前(2016年頃?)から夕食を摂らない生活を選択した私にとって、一日一食の昼食が気がかりだ!例え試験受験日であってもお昼に何を食べるかは最重要事案である。しかも昼食の休憩時間は決して長くはないのだ。
ならば、お弁当を作るしかない

筑前煮、麦飯と白米

ココはコロナ禍下に繰り返し作った「筑前煮」を前日に煮込んだ。ニンジン、ゴボウ、こんにゃくを買い、里芋だけは加工品を買ったけど、椎茸は国産の干し椎茸で6時間前から水に戻して家中いい香り。お弁当に詰めて持参。とにかくこの日だけは食事より「活字」に集中したいのだ。

コロナ禍も治まりつつあり、仕事や諸活動に日常が戻り、今年は「校正」の勉強から離れてしまい、すっかり鈍って、やはり版面計算とかには時間がかかってしまう。歳のせいだろうか、若い人には敵わない。昨年と同様、かけ算、割り算の筆算にどうしても時間を割く。1つ疑問なのは、校正の現場、実務では電卓を使いまくるのに、なぜこの試験では電卓の持ち込みが禁止なんだろう?この試験、そろばん得意な人が有利だ!

試験会場で感じるのだが、周りはやはり学生含め若い女性ばかりだ。そう、中年女性が「校正」に従事する最も多い層らしいのだ。なるほど、こんなにも繊細で地味で謙虚さを求められ、陰に徹する「校正」の世界に男性は少ないのだ。
それでもミリ単位で版面の活字を追う情熱の世界に対して、私は一切アウェイ感など感じない。この「校正」こそが私の歩む「道」なのだ。
確実に昨年より高得点を実感。しかし実技②「横組」が足を引っ張った。①③④は合格点に達してる実感。

通信教育は孤独であった。
しかし、それ以上に校正の世界は孤独だという。

これから先も、一文字一文字を追いながら、組版のことや日本語の勉強は続くだろう。

私よ、活字にストイックたれ。言葉と生きていくんだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?