私が私と出会うまで

中学校で、私は地味で目立たない存在だった。友達も少なく、平凡で、その他大勢の中に埋もれるくせに、グループ分けをすると必ず一人余ってしまう。そんな取るに足らない一人の女子中学生だった。
 そんな私が通う中学校の女子の間で、自作小説を書くことがいつの間にか流行っていた。それらは書籍や教科書と区別するために「ノート」と呼ばれていた。つまり、休みでもなかったのに「ノート貸して」と言う場合、「あなたの書いた小説を読ませてほしい」という意味になる。
 私も自作小説を書いたが、それは他の人のように楽しむためのものではなく、クラスの皆と繋がっていたいという一心で書いたものだった。当時流行っていたアニメや漫画を真似た世界観と、見栄えのいいキャラクター達をそろえ、読者の要求に応じた。そこには問題提起や自分の主義や主張もない。まるで芯がないもので、ただのゴマすりだった。
 私が書く小説の内容は最低だった。誰かに「つまらない」と言われたり、「飽きた」と見なされたりすれば、私は自分の居場所がなくなると思っていた。だから判官贔屓を煽るために、主人公たちを次々に不幸な目に合わせ、時に何の躊躇もなく殺した。皆が書くノートに恋愛の要素が多ければ、私もその「要求」に応じて、何の布石も伏線もなく、キャラクター同士が恋愛関係になった。
 そして必ず私の書く物語は、必ずバッドエンドを迎えた。私は物語の中でキャラクターたちがあっけなく死んでいくことに、何も躊躇いがなかった。何故なら、暴走した物語の中で、自分の分身であるキャラクターたちは、自殺か他殺にならなければ、もう収拾がつかない状況になっていたからだ。時には世界ごと全てのキャラクターを死に追いやり、皆が嫌っていた寝落ちを回避することさえあった。
 私がそんなことを辞めたのは、大学卒業とほぼ同時だった。大学院に進学した私は、小説を書く時間が無くなったのだ。それでいいと思った。きっと私の文章では、誰も救えない。それに、私は物語の中で何人もの人々を、躊躇いなく殺しすぎた。中学校であれほど渇望していた他の女子たちとのつながりは、高校進学と同時にあっけなく途絶えた。多忙になればなるほど、私の視界には研究しか見えなくなっていった。
 そんな私は、大学院の研修会の帰りに、偶然同じ電車で帰る男性と小説の話になった。どの作家が好きか。どんな作品が好きか。話している間に、ふと、私の頭の中を私の書いた小説のラストがよぎった。
「私が好きな小説って、どれも不幸になるんですよね」
まさか、自分が小説を書いていたとは言えず、自然に口をついて出てきたのは既存の書籍に擬態した言葉だった。しかし男性は思いもよらぬことを口にする。
「え? いいじゃん、それ。俺は好き」
「どうして?」
私は思わず、質していた。男性は笑って言った。
「だって、現実はハッピーな方がいいから。小説ぐらい暗くていいよ」
私は呆然とした。頭を殴られたというよりは、急に視界が開けたと言った感覚だった。そこにいたのは、皆と繋がっていたかった私。居場所が欲しかった私だ。
表象系の研究をしていたから、現実と物語が影響し合うことは知っていた。しかし、そんな考え方があるなんて、知らなかった。知識ではない何かが、急に私の中に飛び込んできたようだった。
 私は途中の駅で男性と別れ、帰宅した。そして、急に合点がいった。どうでもいいキャラクターなんて初めからいなかった。何の理由もなく殺していいキャラクターもいなかった。なくなっていい世界も、存在しなかった。それらは私自身であり、私の世界そのものだった。
 だから今度は間違えないように、真摯に向き合って文章を紡ぐ。男性には二度と会えないかもしれないけれど、言葉はしっかりと私の中に今も息づいている。
 

                                                〈了〉

#一人じゃ気づけなかったこと

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