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古墳コモンズ熊本県氷川町からはじめます

運命の出会い

その古墳群の風景は、それまで僕が見てきたいかなる場所とも違っていた。
古墳は古代の人々によって人工的に形づくられたものではあるのだが、それらは、草原の地下茎が膨張して、地中からズンと立ちあがったような森の中の緑の楼閣群のようであった。
ひっそりとゆったりと呼吸すらしているようなたたずまいを見つめていると、なにか、ずーっと待たれていたような、呼ばれていたような不思議な感覚にとらわれた。
なんだろう。いつしかこの古墳たちのために、なにかをしたいと、なにができるだろう思いながら、草地を歩いていた。
2020年の11月末のことである。

野津古墳群・大野窟古墳 

野津古墳群。熊本県八代郡氷川町に存在する4基の前方後円墳である。6世紀初期から中期にかけてのもので、火の君一族の墳墓であると言われている。また氷川町には玄室の高さ日本一6.48メートルの大野窟(いわや)古墳もある。

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古墳のためにひと肌もふた肌も脱ぎます!

「今村さん、古墳好きだったですよね。僕は古墳の良さがわからないのです」

このひと言で、氷川町の古墳との縁をつないでくれたのは、仕事を通して行政に関わっている株式会社地域科学研究所の宮田真二さん。立命館アジア太平洋大学の2000年入学の1期生である。
野津古墳群を訪ねた日の夜、氷川町の隣町、宇城市の町屋で宮田さんたちが主催するトークイベントでお話をした。テーマは「学び」についてだったが、初めて古墳についても話をした。結局、古墳大好き!、これまでこんな古墳を見てきました!、みたいな大変雑駁なものではあったけど、氷川町の古墳については知らず知らず熱を帯びていたと思う。
この古墳のために何かしたいんですみたいな立候補宣言・・・。地元の人たちにとっては、突然現れたおじさんの奇異な話には戸惑ったことだろう。「いきなり古墳って言われても・・・」みたいな。
でもみなさんと話しているうちに何かが伝わった気がした。ちょっと興味が湧いてきたかなというような。

前方後円墳好きが50年も続いている

僕が古墳好きになったのは小学生の頃、教科書の前方後円墳の写真を見てからである。巨大な鍵穴みたいな形をなんなんだこれは、と惹きつけられ、異様ではあるが、なぜか美しいと思ったんだね、今村君は。
でもだからといって、考古学や古代史の専門家になったわけでもない(大学時代は朝鮮近現代史専攻)。機会があれば古墳に足を運ぶし、本も読むという程度の「前方後円墳好き」に過ぎない。でも「好き」が50年も続いているのだから立派なもんだ。
また僕の生まれ育った関西は古墳の宝庫ではあるが、知名度の高い古墳はどれもこれも宮内庁管轄で周囲は塀で張り巡らされており近寄り難いものであった。

でも、野津古墳群ときたら、おいでおいでと言ってくれるような身近なところにある。トトロのお腹のように戯れることが許されているのだ。

古墳コモンズ誕生?

それから古墳でつながった仲間との意見交換、他の古墳偵察などをやることになるのだ。

我々がやりたいこと、それは、学術的価値を認めてもらってたいそうな看板を立ててもらうことは要らない。補助金を獲得してかっこいい古墳公園に整備するのも違う。
SNSで拡散して全国の古墳マニアを集めて、開放区にしたり、お祭りやって町おこしに貢献したいわけでもない。

まずは地元の人々のいい居場所にしたいと思った。
子供からお年寄りまで、楽しみはそれぞれに。斜面を滑り台にして遊んでも、コーヒー飲みながらぼんやりしても、知ったかぶりして古代に想いをはせても、古墳を一周する間に彼女に告白しよう、でもなんでもいい。
でもそれが森の中というのとは何か違う、古墳という1500年の時に優しく包まれているようなほっとした心地よさを生めばいいなと。
大切な場所になれば、自然にみんなで草を刈ったり掃除したり。
そんな話をしていて、「コモンズ」という言葉が浮かんだ。
なんだかんだといいながら何かと頼りにする「公」=役所でも「民」=会社でもなく、あえていえば「共」だろうか。「公」も「民」もやりたいならいっしょにどうぞ、みたいな。

それは、みんなの幸福の共有地だから。

やがて、面白そうだなと町の外からも人たちが覗きにきて、古墳コモンズが縁の仮想町民になるというようなことかな。なんだかとんとん拍子ですな。

古墳ピクニック

2021年4月10日、感謝の晴天。我々、「古墳コモンズひかわ」呼びかけによる「古墳ピクニック@ひかわ」を開催。
コロナ感染拡大下ということもあり参加は15名に限定したけど、地元の人、考古学の専門家、古墳・埴輪女子、熊本も古墳も初めての人などの参加を得た。
氷川町学芸員の鈴嶋さんによる古墳めぐり。そして古墳のおそばでのランチは、イノシシのハムと地元食材たっぷりのサンドイッチ。
古墳とジビエは相性いいぞ。
まさに幸福の共有地でした。
みんながいい人でした。

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古墳コモンズはまだ歩きはじめたばかりだ。これからはコモンズのみんなで話し合って、相談して、決めていく。この論考はあくまで僕個人のもの。人の数だけコモンズに対する考えがあっていいのだ。
はっきりしていることは、これから必ず歩き続けるだろう、ということ。

いやもう1500年歩いているんだけどね。

町の宝は、新しく建てるものではなく、地面=歴史を掘ると見つかるものかも知れない。

中村麻衣子さん(古代PRESS編集長)の素敵なルポもどうぞ。

https://kodaipress.jp/nozukofungun

https://kodaipress.jp/nozu_bangaihen

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