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米川さんproofreading(校正中)

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八ヶ岳山小屋黒百合ヒュッテ山番時代を米川正利さんが描いた絵を形にできればいいねマガジン。黒百合ヒュッテhttp://www.kuroyurihyutte.com/   問い合わせ…
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#山小屋

90.宴会(米川さんの絵本)

小屋では宴会が付き物だった。 お客さんがいる時は毎日だ。 お客さんに叱られない様に。 解説米川です。 小屋をはじめた頃は人がいない日がたくさん続いて。そのうち山小屋に泊りにお客さんがくるようになって。 小屋番と客という関係ではなくて、腹を割って話しながら大皿のものを皆で夜が更けるまで食べて飲んで話していました。 楽しかった。たくさんの人と知り合えて、いろいろな話を聞けて、山小屋はよいですね。とても楽しかったです。 Saitouです。 82.つらら のお話にもあるように、飲

89.小屋の布団修理(米川さんの絵本)

昔はね、汚れて臭いのはシーツを剥がして 破けているのは修理して たくさんあるから忙しい 静かにしているんだよ おやつあげるからね そんな日々だった 解説米川です。 昔は多くの家が綿布団で寝起きして、修繕しながら使っていたと思います。 山小屋も、昔は登山客は布団があるだけでもありがたかった時代。 沢山布団を用意して、啓子さんがほつれをいつも直していました。 けっこう手間のかかる仕事。息子は布団で飛び跳ねて飽きるとおやつと言っていました。大変だったと思いますが懐かしい思い出

88.愛犬ころ(米川さんの絵本)

可愛い奴だ。 いつも一緒。 長い間有難う。 解説米川正利です。 長い間山小屋で家族として一緒に生活をしていた犬はコロと言う純粋な日本犬だった。姉が友達からもらった犬で姉が大変可愛がっていた。 ある日姉が山小屋にコロを連れて行った時、母が山小屋では1人では寂しいだろうとコロを山小屋に置いてきたのが山小屋に入るきっかけだった。その日から母に懐いてしまい、山小屋で人気者になってしまった。 母が亡くなり、私の代になっても私について来てくれ、話し相手になってくれた。 Saitouで

86.歩荷

ボッカ。 山小屋にはボッカは付き物。 米の60kgは軽い、軽い。 解説米川正利です。 歩荷とは荷物を運び歩く人。山小屋などで荷物を運ぶ人を言います。 ヘリコプターで荷物を運ぶ前は全部歩荷でした。 山小屋を建てるのも歩荷ででした。60kg荷物を背負って登山口から一日4回もやりました。毎日です。 一番背負ったときは110kgありました。 山小屋を経営する物は歩荷は当たり前でした。歩荷はとてもつらい仕事でした。 Saitouです。 Saitouはお買い物に行きお米10キロ袋持って

85.急がなくては日が暮れる

渋の湯から黒百合へおんぶに手を引いて。 小屋が忙しいから子供連れてお手伝い。 早くしないと夕食に間に合わない。 解説米川正利です。 山小屋の仕事をしていましたので、子供たちが生まれ大きくなるまでは、啓子さん(奥様)はひとりで子供たちを育ててくれました。家は茅野市の駅の近くにあります。 山小屋の人手が足りなかった時や届け物がある時などは、啓子さんが子供たちを連れて山小屋までのぼってきてくれました。 啓子さんが話してくれた事がとても印象に残り、そして苦労かけたなあと思っています

80. ご来光

太陽が登る。 まぶしい。 凄い速さで登る。 皆の幸せ。世界の幸せを祈ろう。 今日も良い天気になーれ。 解説 米川正利です。うちの小屋からだと中山峠にいくとか、天狗岳まで登っていってとか、 その人によってここが「俺の見る場所」があるんですね。ここから見るのが俺が一番好きな場所、そこにいっていつもご来光を見る。 夕陽も自分の好きな場所がある。そこは一番気に入った場所。 Saitouです。米川さんは「厳冬期のご来光、夕陽がいいですねえ。雪のついている時は真っ赤に全景色を染めます

79.石室

いしむろって知ってる? 山を掘ってつくる小屋。 八ヶ岳にも何軒かある山小屋。 解説 米川です。 石室とは、石を積み上げて造った小屋。山肌を掘って石を積んで壁を造り屋根を乗せた小屋。 八ヶ岳では、蓼科山頂ヒュッテ、根石山荘、硫黄岳山荘、赤岳天望荘、赤岳頂上山荘、等が有る。 風が強いところの小屋が多いです。土を掘って壁に石を積んで山肌に屋根を乗せる。壁にして。 Saitoです。 漢字が読めませんでした。 室(むろ)は聞いてことがありました。昔、冷蔵庫がなかった時代あど、土を

41.インドカレー(米川さんの絵本)

スパイスが沢山入っていて美味いよ。 いっぱい食べよう。 本場インド仕込みだよ。 解説米川正利: 25歳の時に、順天堂大学が「日本人の祖先を探して」という、チグリスユーフラテスとか大陸をずっと渡ってきて台湾にきて日本に来るというルーツを椿という教授がすごく研究に熱心になっていて。 ちょうどその頃、順天堂大学に私遊びに行っていたんですよね、医学部に。その時の助教授の上條っていう先生が私と親しくて、うちの小屋に来てくれていて。 遊びに行っている時に、インドに行くって、それでそのあ

36.フルート奏者が来た(米川さんの絵本)

フルート奏者が山小屋に登って来た。 山登りは初めてだって。 彼は言った。 山ってこんなに気持ちが良いのか。 これからずっと山登りしよう。 解説日本で一番標高の高い場所での音楽会。山小屋での音楽会は何処もやっていなかった。環境は最高、演奏も最高。 蓄音機で皆で音楽を聴いていた時、音楽好きの坊さんと意気投合し、ある音楽会でN響のフルート奏者を紹介された。 演奏したい人がやってきて演奏していたから料金は無料、演奏料も無料。 そして1977年、念願がかなって山小屋の音楽会が実現し

35. 蓄音機(米川さんの絵本)

山小屋でクラッシック音楽が聞きたくて。 古い蓄音機にした。 レコードも在るぞ。 解説1965年頃、音楽が聴きたくて 蓄音機を背負して 手で回して聞いていた。 補足saitou:小屋に蓄音機を背負って運んだのはいつ頃ですか? 米川正利:1965年、昭和40年頃でしたか。蓄音機を背負って、歩荷して。 saitou:最初聴いた時はどうでしたか? 米川正利:いやぁ、やっぱりよかったですよ。手でこう回して。手まわしの蓄音機。その頃はテープなんてなかったんです。 saitou:音楽は

28.ドラム缶風呂(米川さんの絵本)

雨が降ると風呂に入れる。 天水の水がタンク一杯になるとドラム缶風呂だ。 身も心もすっきりする日。 解説ドラム缶とは石油、灯油などを入れる大きな筒状の金属製のタンク。 ドラム缶の片側の底の面を切取って水を入れる。 下から熱を加えると風呂になる。むかしの人はよくドラム缶を利用した。 補足米川正利: 小屋では雨が降るとおふろにはいる、そんな生活でした。 川は雪どけ時は流れているけれど、それ以外は流れていません。 露などの水を貯めてお風呂にはいったりしているからあまり入れません。

26.薪だし 27.薪割り(米川さんの絵本)

はじめに「薪」についてのお話です。2つに分けて書いてくださいました。 このnoteではまとめてご紹介します。 なお「薪」は訓読みでは「たきぎ」、音読みでは「しん」です。「まき」の読み方としては常用外漢字となります。類語検索大辞典では「燃料」のなかに「ガス」「炭」などと共に「薪」があり、そのなかに「薪(まき)」「薪(たきぎ)」「薪(かまぎ)」がルビでふられています。 子供向けの制作と考えると、今回は漢字を使用しましたが常用外漢字はやはり平仮名にすべきでしょうか? 今回は漢字を使

25.うさぎ(米川さんの絵本)

春先に登山道を歩いて居ると 野ウサギがうずくまっていた。 足に怪我をして動けない。 そっと懐に入れ小屋に帰る。 怪我を手当てしてキャベツの軟らかいところをあげる。 なかなか食べない。噛んであげると食べるようになった。 何日キャベツやホウレン草をあげると 何時の間にかうさぎがついて回るようになった。 何年もウサギと友達だった。 解説 ウサギ、ニホンノウサギと友達になりました。野ウサギとも呼びます。 ウサギは赤色の大きな目、長い二つの耳を立てて前足で餌を口に運んでポリポリと食べ

24.積乱雲(せきらんうん)(米川さんの絵本)

どんどん大きくなったら怖いよー。 雷、かみなり、かみなり。 解説前回の積雲とは対照的に怖い雲、積乱雲についてもお話します。 せきらんうんと読みます。この雲は危険な雲です。 前回のお話の積雲がどんどん成長していきます。もくもくしているから入道雲とも呼ばれます。 強い上昇気流の影響で鉛直方向に発達し、雲頂が時には成層圏下部にも達することがあるような巨大な雲です。 鉛直方向とは、空からおもりを糸に垂らした時の方向、空から地面に対して垂直のことですね。 積乱雲の鉛直方向の大きさは雲