真剣ラブライバーくんが真剣アイマスPになってもうすぐで2年経つらしいので単純にアイマスを褒める
こんばんは、しゅーとPです。
何がとは言いませんが大変なことになっていますね….
(実際私も異次元の時にラ!を下げるような事を言いまくって何人もブロックされているわけですから相当反省しております。)
僕も同じくラブライバーからアイマスPになった人間なので言わんとしている事はよく分かります。それを今回は上手くまとめてみようかと。
(👆1周年の記事です。駄文なので読む価値ナシ)
アイマスPって褒められるとすごい嬉しいらしいのでラブライバーの癇に障らないように触れつつ、もうすぐ2年目になるアイマスを褒めて、この波に乗っかって一躍人気者になってやろうという魂胆です。(直球)
それでは行ってみましょう。
自分も物語の一人として
まず、アイマスPが見る記事という前提で私にとってのラブライブについて説明させていただくと、アニメは中学3年の頃に見たμ'sからで、μ'sが終わったショックからAqoursが受け入れられずに一旦離れ、虹ヶ咲のアニメで再び舞い戻ったという感じです。なので主現場は虹ヶ咲でした。
虹ヶ咲のアニメを見ていた人なら分かりやすいと思いますが、虹ヶ咲にはラ!で唯一プロデューサーのような立ち位置のキャラクターが存在します。部活なのでマネージャーですね。
ゲーム版では「あなたちゃん」としてメンバーに助言を行ったりとラブライブには珍しく、ストーリーを進めるのにプレイヤーの裁量権が大きいグループでした。
また、ソロ活動要素が強い虹ヶ咲はアイマスに通ずるところが多く、特に雰囲気的にもミリオンライブと通ずるところが多いんじゃないかなんて考える人も多いと聞きます。
まぁアイマスにはハマるべくしてハマったという感じですね….
そう考えると私がμ'sやAqoursのライブに行かなかったのは「彼女たちで完結しているから」なんじゃないかと思います。
物語に私たち視聴者が干渉するのは確かに解釈不一致(NO.10という曲が全てを物語っているが)なので、私たちは一ファンとして見守るのが正しいというので自分の中で完結してしまった気がしてしまって。
それが悪いわけじゃないんですけど「私が見に行く必要は無いかな、他の誰かが見に行くから」とどこか他人事のように感じてしまっていました。
そこで自分が「あなた」として代入できる虹ヶ咲というコンテンツに出会って、あたかも自分が関係者かと錯覚するようなストーリーに出会ってから他人事のように感じられずに気づけばライブに参加していました。
(虹ヶ咲については、後々スクスタサ終やアニメ2期での侑の言動から、だんだんと自身を代入することができなくなり、だんだんと他人事のように感じてしまうことになるのですが……)
やはりアイマスも自分の担当アイドルがいて、担当アイドルと過ごした日々の特訓(存在しない記憶)の成果がステージ上で発揮されていて、そこに感動したりやりがいを感じるというPさんは多いと思いますし、自分自身が「プロデューサー」としてライブを作る側の人間にもなれるのが本当に素敵なコンテンツだなというのがラブライバー上がりの私のアイマスの印象です。
「あなたちゃん」として虹ヶ咲のライブをアイドルと共に作り上げる楽しさを知っているからこそ、自然と惹かれたんですよね。
楽曲に対する価値観の違い
アイマスとラブライブのライブの違いについて今更「UOが合法でも治安が~」とか「MC中座れる~」とか「協賛コールが~」なんて話をするつもりはないです。
私が本当に話したいアイマスとラブライブのライブの一番の違いはマイクを持っているか持っていないかだと思うんです。(シャニマス等一部例外アリ)
「なにか運営上の都合でマイクを持たせざるを得なかった。」とか言われたらもうそれまでなんですけど、私はこれには両コンテンツの楽曲に対する価値観の大きな違いがあると考えました。
「ラブライブのキャラって本当に歌ってると思う?」
これはついこの間久しぶりにライバー時代親交があったFFと遊んだ時に現役ラブライバーのFFが僕に投げかけた質問です。
「え?歌ってるに決まってるじゃん。」多分大半の人がそう言うと思います。
流石にスノハレとかWBNW、夢ここ、スタプロとかは楽曲として本当に歌われているのは間違いないです。では歌っていないとはどういうことなのか。
ラブライブ!一話の「ススメ→トゥモロウ」や虹ヶ咲のいきなりソロ曲領域展開(果林とかは普通に歌ってるけど)を想像すると分かりやすいかもしれません。彼女たちは歌っているのではなく自分の想いを歌という手段でアウトプットしているだけなんですね。
だってスピーカーも無いのにイントロとか流れ出したら怖いでしょ…..
これは逆にアニメをストーリーの軸にしているラブライブ!にしかできない表現方法だと思います。
逆に、私の勉強不足なだけかもしれませんが、領域展開ソロ曲披露みたいな事はアイマスではやっておらず、本当に作中でライブとして楽曲を披露しているか、挿入歌として流れているだけだと思うんですよね。
実際、ソロのステージを通して問題を克服していく様子を描いた描写が多く描かれている印象があり、歌をステージで歌うという行為はアイドルマスターという作品において非常に大きな意味があると感じました。
だからこそより歌を表現させるマイクという道具を演者さんに持たせているんじゃないかと考えると説明が付きます。
逆にラブライブはというと、アニメ内のMVではありえない現象が起きる(穂乃果が車道に飛び出して暴れる、虹ヶ咲の領域展開でいきなり海底に行ったりせつ菜がグラードンになる等)ので、視覚的な表現をより引き立たせるためにもマイクはむしろ邪魔なんじゃないかなと思います。(実際Liella!のパフォーマンス圧巻だしね。)
(ラブライブの始まりを告げる名シーン、JK3人が普通に車道で踊り出すもんだから普通にシュールすぎて初見で笑ってしまった。)
シャニマスはというと、コミュが主体となって動いているブランドなので、コミュでのキャラの感情の動きを視覚的に見せる必要があるため、マイクを持たない場合が多いのではないかと個人的に考えています。
アイマスのライブは五感のうちの聴覚を研ぎ澄ませるライブ、ラブライブのライブは五感のうちの視覚を研ぎ澄ませるライブと考えると確かにお互いがライブに抱える問題(アイマス=曲中コール問題、ラ!=UO問題)も納得がいきます。
どっちのライブが良いとか悪いとかは全くなくて、どちらもライブとしては成功してますし、素晴らしいとは思いますが、一般的に連想される「ライブ」という物はアーティストの生の歌を聴くものだと思っているので、私にはアイドルマスターのように、聴覚に重きを置いたライブの方がしっくりきました。
アニメ系のライブ現場で曲を聴いて鳥肌が立つという経験が本当に初めてだったので、すごくびっくりしたのも覚えています。
ただ、ラブライブのライブのように目で見て楽しむライブは感情移入というか、歌い手が伝えたいことがそのまま聞き手に伝わりやすいという事はとても素晴らしいと思っています。
まとめ
と、まぁ例の炎上を受けて急遽書き出したので考えがまとまっておらず、急ピッチで書いたNoteなので、一旦ここで終わりにして考えがまとまったら加筆しようかなと思っております。
なので最後にこれだけ
両コンテンツに優劣は無いし、お互いに良いところがあると思います。良いところだからと言って、無理やり輸入してくるのは世界観を損ないかねないですよね。
ニューヨークのタイムズスクエアが素晴らしいからと言って、京都にタイムズスクエア作ったら風情台無しじゃないですか。ライブの文化ってそんな感じだと思ってます。
ただ、MC中は座りたい人は座ることは悪いことじゃないという意識だったり、物販は予約で現地受け取りできますよ(これは運営の問題だけども)みたいな文化ってどっちにもプラスに働くと思うので、そういう話がもっと盛んにおこなわれれば良い異文化交流になったのではないかと思います。
布教する人はそれぞれのコンテンツの顔として発言している事をくれぐれも念頭に置くように…..(特に私ね…..)
と、いうわけでアイマス最高~👏(もちろんラブライブも最高~👏)
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