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私の12年間

ヨガを仕事にしだして今年で12年目、2024年は13年目になります。短くはないけど、ヨガの世界では決して長くはありません。
いつかある先生が「12っていう数字は特別な数字。ヨガの指導も12年して見えてくることがある」みたいなことを仰っていたことがあって、なんとなく聞いていましたが実際に私も〝ようやく…〟という言葉がしっくりきます。


そうは思ってなかったけどバラバラだったものが繋がりようやくまとまりはじめ、ひらけた。
ようやくここから始まる。
ようやく始まることができる。
「始める」ではなく「始まる」。
みたいな。
言葉にうまくできないけど、なんかそんな感じがしています。


その都度、絶妙なタイミングで出逢うことのできた素晴らしい先生方や仲間の存在があり今の私があります。

広いヨガの世界。
そして切り離せない人間としての在り方や生きるということ。
始めは全然見えていなかったこと、理解できなかったことや興味を持てなかったことも、自分の準備が整っていくにつれて自然と興味が湧いてきたり、振り返るとタイミングがくればちゃーんと導かれていたんだ。

そんな誰が興味あんねんな12年のターニングポイントを振り返ってみます。


思い返せばヨガの指導を始めて1〜2年目。
本当にクラスをすることにも受講することにもつまらなさを感じていて「ヨガっておもしろくなーい」って思っていました。
そんな時、今は大阪の枚方でyoga madhyaというスタジオをされているKaoriさんのVinyasa yogaを受けて、そこから私のヨガ人生に新たに息が吹き込まれます。

NYCにあったOM yoga centreのクリエイティブなヴィンヤサ。アライメント・マインドフルネス・コンパッションを大切に、チベット仏教を融合させたフロースタイルのヨガです。あのワクワク感を思い出すと今もワクワクする。ここを機にヨガをすることも指導することもとっても楽しくなりました。ここがなければ私はヨガを辞めていたかもしれません。今でもここがベースとしてあります。

2013年頃。当時、同じスタジオで働いていたmayoちゃんが「なんかなー、めっちゃ変な瞑想合宿行ったことあるねーん。10日間、人としゃべったらあかんし目も合わしたらあかんねーん。めっちゃしんどかってんー。せやのに2回も行ったことあるねーん。」と話をしてきて。「なにそれ。そんなんよぅ行ったな!しかも2回て。絶対行きたないねんけど!」と私は言っていました。

それから数年後、忘れもしませんOMyoga centreシニアティーチャーがNYCから大阪に来日しWSが開催された、それを受講した帰り道。ふと〝瞑想を学びたい〟と思ったのです。その時一緒にいたヨガ仲間のTamちゃんに「どっか瞑想勉強できるとこないかなー?」っと相談したら「ヴィパッサナー瞑想しか思いつかんなー」。その当時は瞑想が今ほど普及していませんでした。とりあえず2人で一緒に参加することになりました。人と喋ってはいけない、目も合わしてもいけない1日10時間以上座るという実践をする10日間の瞑想合宿。そして、参加している最中に私は思い出しました。

〝そういえばこれ、Mayoが言うてたやつやん!絶対嫌やと思ったのに来てるやん!〟

すっかり忘れていた記憶が蘇りました。
それから、年に一度は行くことになります。
行くたびに〝なんで好き好んでこんなとこに来てんねん。早く帰りたい〟って思うのに行ってしまうヴィパッサナー瞑想合宿。

(話が逸れますが、Tamちゃんは前日に酔っ払って自転車から大コケし、顔に大きな青タンを作ったまま合宿に参加。そのまま聖なる沈黙の共同生活が始まるので、他の参加者の方から意味深な女性、DV受けてる女性、と印象を持たれたまま10日間過ごすことになりました。爆笑)

記憶は曖昧ですがそれと同時期くらい。2017年とかかな?
ソウルメイトのEriちゃんから「アムリタトシさんって知ってる?ヨガの哲学の先生やねんけど、三重でWSしてくれることになったからよかったら来てー。」大阪のスピリットで哲学を教えているということは存じ上げていましたが、お会いしたことのないアムリタトシさん。

「行くわ!」

これを機に、アムリタトシさんから聖典を学び始めることになります。RYTで軽くしか学んだことのなかった聖典。最初はちんぷんかんぷん。だけど聞きたくなるヨーガの教え。Veda。
この出逢いが私の〝生き方としてのヨーガ〟に息を吹き込み始めます。大きな海に放り出されたようなヨガの道。そして自分を生きるということ。トシさんは一寸の迷いもなく真っ直ぐな目で、その道に光を当てて導いてくれています。

小学生の頃から、宇宙の存在や生きてるってどういうことなん?人間ってなんなん。死んだら体はなくなるけどこの記憶や魂はどうなるん?ずーっと【無】なん?って夜な夜な考えてはこわくなり布団に潜る、みたいな子供だった私。お母さんに聞いても「死んだらそんなん終わりやん。何もなくなるやろ。」と言われ「ぎゃーこわすぎ!絶対死にたくない!」とか思っていました。笑

そんな心の奥にあった疑問が少しずつ解消されだし、真理はここにあることに気づき始めます。ヨーガ、Vedaとの出会いは必然だったんだろうなと、振り返るとそう思えます。

それから時は経ち、2020年。
私は大阪での仕事を全て辞めて、奈良で古民家ヨガスタジオをオープンします。同時にコロナ禍。オープンして1ヶ月経たぬうちに、1ヶ月のロックダウンのようなものに入ります。
私は迷い始めます。それまで大人数の中でヴィンヤサのクラスをしていたので、一気に少人数のクラスしかしなくなった私は迷いに迷います。少人数でのヴィンヤサはその当時私にはしっくりこなかったのです。またオンラインヨガも始めていた為、〝もう少し丁寧に〟伝えたい、みたいな。なんかそんな感覚がありました。

そんな時、ヨガ仲間のNaokoさんとご飯に行こうという話になり、「ついでにNaokoさんのクラス受けさせてもらいますわー」って言ったら、「それより受けてほしい先生おるねん!めっちゃオススメの先生!絶対気にいると思う!」と紹介されて受けたのがTOBE先生のクラス。
アライメントベースのハタヨガ。
雷が落ちたような衝撃。終わった後の整い具合ったらない。今まで体感したことのないアーサナの感覚…アアアアライメントって…こここういうことだったのか。

それを機に翌週から毎週、以前京都にあったTOBE YOGAへ通うことになります。
この学びによって、アーサナの指導スキル、見る目を養うことがこれまでよりグッと深まり始め、そして微細な誘導から起こる感覚の体験経験がアーサナをすることの価値を深めはじめます。

思い返せば、この数年前にも何度かアライメントベースのハタヨガやアイアンガーヨガのクラスを受けたことはありました。しかし私は〝実につまらん〟と思っていたのです。まだまだケツが青かったのです。出逢うべき時に出逢うのでしょうか。気づくときがくれば気づくのでしょうか。

2022年のGW。
福岡へ旅行に行った際、TOBE先生が福岡で指導されていた時の生徒さんであったAkiちゃんのプライベートクラスに参加します。「Akiちゃんは今どこで練習しているんですか?」「オンラインで奥野恵子さんっていう東京の先生のクラスを受けています。オンラインだけどすごく勉強になりますよ。」ほぇー。そんな先生がいるんだ。アイアンガーヨガの先生です。

翌週に受けてみました。これまた衝撃を受けることになるのです。そして、オンラインでの練習が始まります。

今ここ。

これは、私のヨガプラクティショナーとしての側面から見た12年間の大きなターニンポイント。
それぞれの分野の素晴らしい先生方との出逢い、段階的に総合的に学べる環境と宇宙の計らい、人との繋がりに感謝せずにはいられません。
もちろんそれ以外にも本当にたくさんの方々と巡り合い、影響を受け、刺激を受け、お世話になり今があります。
これからまた、どんなヨガライフが待っているのか楽しみです。

思考の渦に飲まれて、世の中に流されて生きていた私は、瞑想がなければ【自分らしく】と言われても自分を知る術がなかった。

聖典の教えがなければ、そもそもどこに向かうのか、何の為にヨガをしているのかがわからないまま、ただアーサナで身体のメンテナンスとしてヨガを扱い、そのうち飽きて辞めていたんだと思う。

それはそれでそれなりに生きていけます。これまでも不満なく生きていたのです。ただ私は何も知らなかった。自分のことも。知らないということすら知らなかった。
【私は知っている】【このままでいい】ベースで生きていくってつまらないと思います。自分のエゴが自分の成長を止めてしまっているからです。知らない自分に怯え、できない自分に怯え、好奇心を失ってしまうからです。
そんなことも自分の思考を見なければ知る術がありませんから受け入れることもできません。そして人は沼ります。

好奇心。それは【私は足りない】ということではありません。そのベースには自分への愛があります。

知らないことがあること。
できないことがあること。
うまくいかないことがあること。
チャレンジできること。

それがあるから人生って充実して楽しいのではないのでしょうか。
なんでもできて、なんでも手に入れている人生って想像してもつまらなすぎでしょう。
そして、そんな人はいません。 

ヨガを深めるって仙人みたいな、僧侶みたいな修行!みたいな感じじゃなくて、
キラキラ女子とか柔軟性とかそんなのでもない。

自分を生きることでよりイキイキする感じなんですよね。特別なことじゃなくて、派手か地味かそんな次元の話じゃなくてそれは自分にしかわからない。ありのままってそういうことでしょ。

ある先生が言っていた言葉が心に残っています。
「先代たちが大切に受け継いでくれてきたヨガを私たちも日本で残し伝えていかなければいけない」

2023年ももうすぐ終わり。
2024年も精進したいと思います。

Ogi

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